物の正しい使い方と状況による決定 〜カナヅチの正しい使い方?
状況さえ許せば使い方も許される?
となると、カナヅチの使い方というものは基本的になんでもありということになってしまいます。状況によって使われ方が決まるのであれば(状況Sによって物Xは◯として意味づけられる)、状況さえゆるせばどんな使い方をしてもかまわないからです(◯はSにより変化する よって 任意のSを設定すれば◯は任意に決定できる)。
もう少し日常的なたとえに落としこんでみれば、傘は雨の日にさすためにありますが(X傘 S雨の日 ◯さす)、暴漢に襲われた際には振り回すなりどつくなりしても問題はなく(X傘 S暴漢 ◯どつく)、傘自体の使い方はその都度の状況によって決まる、傘の正しい使い方は状況によって左右される(X=(S1+◯1) or (S2+◯2))、ということになります。
物の正しい使い方はなく、状況によって決まるだけ?
こうした考え方によりかかってみれば、カナヅチなり傘なりの正しい使い方はない(Xは必ずAである 必要はない)、単に状況によって決まる(Aは状況Sによって決まる◯の1つでしかない)、ということになるでしょうか。
なんかそれでもいいような気もしますね。そりゃヘンな人に襲われているのに傘さしたってしょうがないですもの。どないせいっちゅうんじゃい、そんな時に、と言いたくもなります。
しかし、傘はそれでいいのですが、カナヅチではちょっと困ってしまいます。ゾンビなら別に叩いたってかまわないでしょうが、人を叩くものだと思われては困ります。危なっかしくていけません。ホームセンターでずらり並んでいるカナヅチを見ながら、どれが人を叩きやすいかな、なんて、ホラー映画ではないですか。そんな調子でぽこぽこカナヅチで人を叩くのは、それこそ映画かゲームの中だけにしといてください。
それでも使われてはいけない使い方もあり、正しい使い方というものがあるのかもしれない。
そうすると、やっぱりカナヅチの場合は人を叩くのは間違った使い方だ(XはBではない)、と捉えなければいけないことになります。単に状況がゆるせば人を叩いてもいいとは言えないわけです(XはS1においてBである が Bには問題がある)。なんなら逆算して人を叩くために状況を設定する悪人だっているだろうし(XをBとするためにS1とする)、出てくるかもしれません。そうなると困りますから、放っておくわけにもいきませんね。
もちろんゾンビに襲われれば叩いてもいいでしょう。それが現実に起こらないと説明してもかまいませんが、しかしゾンビでなくても熊に襲われたり、通り魔と直面したりということは九分九厘ないでしょうが、現実的に起こりえないこととして除外できません(状況S1 S2は起こりえる)。これらはフィクションやニュースでしか接することはなくとも、現実に起こりえることです。となるとカナヅチを人を叩く道具として意味づける可能性は潜在的にありえる、ということになります(S1+B S2+Bはありえる)。
しかしだからといってカナヅチを人を叩く道具だ、という可能性を、釘を打つのと同じ程度に持たれては困るのです(XはAである と XはBである は等価ではない)。カナヅチはカナヅチとして、釘を打つことこそ正しい使い方だと認めてもらわなければなりません(XはBである よりも XはAである べきである)。となると、やっぱり正しい使い方というものがあることになるのでしょうか(Xは必ずAである)。
どんどんわけがわからなくなっていきます。困りますねぇ。
次の日の内容
価値とは製作者に従うものか ~作り手によって道具の使い方は決定される?【おもしろい哲学】 - 日々是〆〆吟味
前の日の内容
意味づけは状況によって変化するか ~現実とゲームでの道具の使い方【おもしろい哲学】 - 日々是〆〆吟味
お話その7(No.0007)