意味づけは状況によって変化するか 〜カナヅチはゾンビを叩くため?
もうちょっと考えを先に進めてみましょうか。
カナヅチ(道具)の使い方 〜現実とゲームの場合
ちょっと不穏なたとえで申し訳ありませんが、先日カナヅチを釘を打つ道具なのに人を叩く道具としても受け取れる、と屁理屈を述べてみました。これは当然無茶苦茶な仮定なのですが、しかしこれをゲームの中の世界だとしてみましょう。
ゾンビを叩くものとしての、ゲーム世界のカナヅチ
ゾンビゲームです。目の前からゾンビが沢山やってきます。放っておくとかじられてこっちまでゾンビになってしまいます。とりあえず安全な場所まで逃げなければなりません。そのためには身を守る道具が必要です。
この時、カナヅチは人ならぬゾンビを叩く道具として意味づけしても、別段おかしくはありません。それもゲームの中の世界だとすれば、アイテム欄の最初にカナヅチと記載されているかもしれません。この場合ですとカナヅチを人を叩く道具と捉えていてもさほどおかしくはなく、その使い方の延長上にゾンビを叩くという行為がある、とそう考えるわけです。むしろゾンビを攻撃する道具として、武器として価値があるわけです。釘を打つことなんてなんの価値もありません。
ゲームの中の世界であれば、この意味づけは間違っていないことになります。しかし現実の世界ではそれはゆるされないわけですね。
そりゃ現実にはゾンビはいません。しかしゾンビを叩くという意味づけを、人型のものを叩くとぼかしてみましょう。するとゾンビも人も同じ範囲に含まれてしまいます。
またゲームの中のカナヅチと現実のカナヅチとではどこが違うでしょうか。ゲームの中にはカナヅチは実際に存在しておらず、現実の中では実際にカナヅチは存在していて手にすることができる。これは大きな違いですね。
状況によって決定される道具の使い方?
ですがそれは実際のカナヅチがあるかないかというだけが違いであって、カナヅチそのものの使い方についてはゲームも現実も関係はないわけです。現実ではカナヅチの使い方は釘を打つためにある(XはAである)。しかしゲームではカナヅチはゾンビを叩くためにある(XはBである)。つまりXは◯である、と仮定される◯によって決まり、その◯を決めるのは状況Sである、となります。だからS1(ゲーム)ではX(カナヅチ)はB(ゾンビを叩く)ためのものであり、S2(現実)ではX(カナヅチ)はA(釘を打つ)ためのものである、となります。
しかしそもそも状況自体もその都度変わる
しかしそうなるとまた別の区別の仕方が出てきます。現実は変わらないのだけれど、その中で状況は変わりえる、ということです。
椅子を作るためにカナヅチを手にすれば、それは釘を打つためにあります。ですが通りに出て暴れようとしたらカナヅチは人を叩くためにあることになってしまいます。
なぜならこの場合ゲームと現実という区別はありませんが、同じ現実の中で状況が2つ区別されているからです。S1は椅子を作るですが、S2は通りで暴れるためだからで、状況がX(カナヅチ)の使用目的(◯の内容)を決めるのであれば、暴れるためなら人を叩くこともカナヅチの正当な意味づけになってしまうからです。
どんどん詭弁じみてきました。なんだかややこしくてかないませんね。
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違うものでも同じに見えてしまう ~よく似ていることでも整理すると違ってくる【おもしろい哲学】 - 日々是〆〆吟味
お話その6(No.0006)