日々是〆〆吟味

自分で考えていくための参考となるお話や本の紹介を目指しています。一番悩んだのは10歳過ぎだったので、可能な限りお子さんでもわかるように優しく書いていきたいですね。

政治屋と政治家の違いと満足すべき政治屋の条件と、政治以外で持たなければならない精神

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前回のお話

https://www.waka-rukana.com/entry/312/2021.02.26

 

政治を行う者と政治以外で持たなければならない精神

哲学者と政治

マルクス・アウレーリウスによる哲人王の実現はさほとうまく行ったとは言えない、とモスカは述べますが、続けて次のようにも言いました。

 

さらに、プラトンの考えたような哲学者が、平時、高い地位を求めて相争う多くの人びとに混じって、卓越のための闘争で勝利を得るとは考えられそうにもない。多くの場合、真の知恵は、野心を興奮させるよりも、むしろそれを鎮めてしまうからである。そのうえ、高潔な資質をもつ性格と精神は、哲学者を高い地位に引きつけず、逆に、そこから遠ざける。哲学者の資質が政治屋の資質と混ざり合っていないときは特にそうである。そして、そういう人は、哲学者の資質を一時的に和らげて、もう一方の政治屋的資質を活動に引き入れるというような実践的感覚をそなえていない。

 

【マルクス・アウレーリウス『自省録』プラトン『国家』】
マルクス・アウレーリウス 自省録 (岩波文庫)

マルクス・アウレーリウス 自省録 (岩波文庫)

 
国家 上 (岩波文庫)

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国家〈下〉 (岩波文庫 青 601-8)

国家〈下〉 (岩波文庫 青 601-8)

  • 作者:プラトン
  • 発売日: 1979/06/18
  • メディア: 文庫
 

(哲人王の実際と理想がわかる二人の本。今回は順番を反対にしてみました)

 

なんだかこれはわからないでもないですね。だって野心満々の哲学者ってちょっと考えられません。そして政治の世界は権力をめぐる野心の世界です。そうした世界にそもそも哲学者は合わないのではないか、そして権力闘争の競争の中にたとえ優れた哲学者が混ざったとしても、結局脂質の違いから権力を得ることはないのではないか、というわけです。

 

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政治屋と政治家

そしてこうした権力の獲得者である政治家についてモスカは次のように言います。

 

現在、ふつうの人びとも、政治家と政治屋をしだいに区別するようになっている。政治家とはその知識の広さと洞察力の深さによって、自分が生きている社会の欲求をらはっきりと正確に感じとり、できるだけ衝撃や苦痛を避けて自ら社会を到達すべきーあるいは少なくとも到達できるー目標に導く最善の手段を発見する方法を知っている人のことである。

 

(略)

 

これにたいして政治屋というのは、統治システムにおける最高の地位に達するのに必要な能力をもち、それを維持する仕方を心得ている人物のことである。

 

【モスカ『支配する階級』】

 

我らの時代の政治屋状況

言うまでもなく、私たちの周りに存在する政治家は上記の意味での政治家ではなく、大半が政治屋とみなしていいでしょう。さらにまた、小選挙区制とSNSの普及により、ネット環境から本来資格のない者までもが大きな政治権力を握るようになっているようにも思えます。かつてのように政党が派閥の中で議員を育てて専門家に仕立てていった時代は遠い昔になり、選挙で票さえ入ればなんでもいいような状況です。これは左派政党でも右派政党でも同じであり、実際NHKから国民を守る会はそうした手法で議席をとった実績がありますし、維新の党なんてそのまま一勢力となったまま10年の月日が流れていきました。小泉純一郎の時代に言われたポピュリズムは完全にわれわれの政治風土を覆ったことになります。

 

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これは政治の世界がテクノロジーによって変質していった、加速された結果なのかもしれませんが、多分100年前も出版文化が行き渡ったことにより似たようなことがあったのかもしれません。モスカもオルテガもル・ボンも似たようなことを似た時代に書いているということは、共通した問題を多くの人が感じていたからでしょう。

 

満足すべき政治屋は何者か

そしてモスカは次のようにも言います。

 

このようなわけで、すでに示しておいたように、もし権力の座にいる政治屋が、その知性と道徳において、支配階級より下回っていなければ、われわれはそれで満足しなければならないのである。

 

ほとんど絶望的なことを言います。

 

政治以外で復活さすべき貴族精神

ですが私たちの生きている世界は民主主義の世界です。政治を行う者は政治屋でも政治家でも、国民が選ぶわけです。そのためそうした人たちの中で、前回書いたようなモスカのいう貴族精神とでも言う人が政治を制御していくような文化を国内に保っていなければならないのかもしれませんが、それもネット/SNS=テクノロジーと消費文化によって風前の灯、いえ、もしかしたらすでに死に絶えているのかもしれません。

 

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モスカは言います。

 

われわれはプラトンが精神と性格の最高の資質と考えたものは、政治の領域では必ずしも最高の資質ではないとして、それを否定した。しかし、政治以外の多くの分野については、それらの資質を急いで取り戻さなければならない。

 

しかし、もしかしたら私たちは、それすらも放棄しているのかもしれません。

 

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お話その313(No.0313)