前回のお話
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社会と統治するための政治と政治を行う者への理想のジレンマ
社会における様々な人々
モスカの本をぺらぺらとめくって拾い読みをしているだけで陰鬱な気持ちになってきます。モスカは理想主義に対する現実政治の立場に立つリアリストとされますが、その現実というものは大抵みもふたもないもので、ほとんどそれだけを言われてもどうしようもないもののように感じてしまいます。
【モスカ『支配する階級』】
(モスカの本。読んでると陰々滅々とした気分になってきます)
私たちはひとりだけでは生きていけませんし、社会集団の中でしか常識というものも得ていくことが出来ません。デカルトのいうようなすべてを疑ってみることも、こうした臆見を得た後でなされることであり、まず得る認識はデュルケームの言う通り社会を通してのものでしょう。それはアリストテレスの言うように、そもそも人間は社会的存在だということになるかもしれません。
【アリストテレス『政治学』】
(アリストテレスは元来人間はポリス的な存在だ、と述べました。この場合のポリスっていうのは、アリストテレスが生きていた都市国家の在り方を指して自分たちの存在規定をしたので、この部分であるポリス=都市国家を政治と見るか社会と見るか共同体と見るかで微妙に変化があるかもしれません。でもそんな難しいことは私にはうまく説明できませんし、放っておいてとりあえず読んでみたらいいんじゃないかと思います)
社会を統治するための政治の不可避性
そんな社会には大勢の人々が集まって暮らしており、その中には対立も摩擦も起こります。そのための調停やまとめあげるためにも政治という営みは不可避的に現れてこざるをえません。もしかしたらアナーキストのように政府を廃することは出来る日が来るかもしれませんが、多分少なくとも今日明日には来ないことでしょう。
【世界の名著 プルードン,バクーニン,クロポトキン】
(アナーキストたちは世界の名著の中の一冊にまとめられていてとりあえず知るのに便利になっています。アナーキストというと無政府主義者でテロリストのようなイメージを持ちますが、そうではなく政府という権力機構をなくすことを目的とする思想のようです。それこそアリストテレスの生きたころのような都市国家で生きていくようなもので、今言われるような地方分権の最終形みたいなものかもしれません。まぁ今のままそんなことになったら、地方の首長が殿様になるだけのような気もしますけど…ただ私は読んでいません。そのうち読みたいです)
そのためそうした政治をつかさどる者として政治がいるのですが、いつの世も政治家というのはろくなもんではありません。政治家をよく言うのは個人的に関わりのある人か利益の結びついた人ではないかと偏見を持った悪口でも出てきそうです。
政治をめぐる哲人王の理想
そういうわけでもないのですが、古代の大哲学者プラトンは政治の長は哲学者であるべきだ、ということを述べたとされます。この場合の哲学者はいわゆる哲学者というより最も賢明な者くらいの意味と捉えた方がいいような気もしますが、こうした考え方は哲人王として有名です。
しかし哲人王の理想は叶えられたことがありません。史上一度マルクス・アウレーリウスによってなされたことがあるだけです。
【プラトン『国家』マルクス・アウレーリウス『自省録』】
(プラトンの哲人王の理想とその実現者の本はこちら。なんでうまくいかないのかはモスカがみもふたもなく説明してます。ただそれを真理とするかはわかりません。やっぱり指導者は賢くないと困りますしね)
そうした哲人王の問題を踏まえながらモスカは言います。
世襲かチャンスによって、プラトン的意味の哲学者ぎ国家の頂点に立ったことが、まれにではあるが、これまでにもあるら、しかし、歴史上ら哲学者は、必ずしもよい支配者のモデルではない。たとえば、マルクス・アウレリウスは、真のタイプの皇帝=哲学者であった。彼は、最初生まれたときから皇帝の座に足をかけていた。彼は善人であったが、馬鹿ではなく、したがってその『黙想録』が示しているように、権力の行使のおかげで、人間本性について、全体としてへつらいのない観念を得ている。彼は、ある程度、活動の人でもあった。多くの戦争で自分の軍隊を自ら指導したし、事実、彼はドナウ河の戦闘に従事しているあいだに死んだのである。しかしこのような事情にもかかわらず、彼の徳性がいつも公的利益に十分に役立っていたかどうか疑問である。ほかならぬ彼を擁護する歴史家たちでさえ、彼が地方の政府に不適当な人物を配置したというので非難している。軍隊の規律はトラヤヌスによって著しく改善されたが、マルクス・アウレリウス時代にふたたびゆるみはじめた。また彼の統治のあいだ、アジアの軍隊で重大な反乱が起こりらアヴィディウス・カッシウスという人物が皇帝を名乗った。カッシウスは、もし百人隊のある指導者によって殺されなかったら、マルクス・アウレリウスの非常なら危険な競争相手になっていたことだろう。
なんだか悲しい話です。
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お話その312(No.0312)