前回のお話
https://www.waka-rukana.com/entry/298/2021.02.08
世界の解釈から変化への実践という哲学者の使命の変化
観照的態度への批判のはじまり
ヘーゲルの大体系の大哲学を持って近代哲学は終わるとも言える気もするのですが、その後ニーチェみたいにこの私の人間存在を問題にするような実存主義への流れがあると同時に、ヘーゲルにあったかもしれないアリストテレスの観照的態度に対しても反発が生まれてきます。それがかの有名なマルクスです。
【ヘーゲル『法の哲学』】
法の哲学: 自然法と国家学の要綱 *3 (岩波文庫 青 630-2)
- 作者:ヘーゲル
- 発売日: 2021/01/18
- メディア: 文庫
(とはいえヘーゲルは市民社会を含んだ人間の社会そのものを人間の特徴として考えました。と、思ってこの本を載せようとしたら岩波文庫で新しく出てる。…最近の岩波文庫は他者で既訳のあるものを多く出してる気がするなぁ…もっと未訳のもの積極的に出して欲しいなぁ…)
マルクスは革命家だし共産主義の親玉だからアリストテレスやヘーゲルみたいな観照的生活とまったく関係なさそうなので、何言ってんの、と思われるかもしれません。しかしマルクスは最初ヘーゲル哲学を学んだ学生だったわけです。そして大学で職を求められず新聞社で社説なんか書きながら、社会の問題点などをよく知りその問題解決のために真面目に考えていくようになっていったそうです。
マルクスと社会の矛盾と欺瞞
マルクスによれば現代(当時)はヘーゲル哲学に代表されるように、人類において到達された最終的な時代のはずである。しかし、その到達点である具体的な現れでもある法自体によって人々は苦しめられている。こうした法はその時代の時代精神の体現であるから、現代の法は歴史的にみて最も優れているはずなのにそんなことはない。どうしたことだ、というわけですね。
たとえば当時からひと昔前には森で落ちてる木の枝は勝手に集めてもよかったそうです。それは周りの人たちにとって生活資材であって必要なものだったわけですね。しかし当時の法律は森に落ちている木の枝も土地の所有者のものに定められていたので、生活資材として使っていた人たちは犯罪者として追い出されました。これが人を幸せにするための法律か、事態はまったく逆で土地所有者を満たすために法があるだけではないのか。これでは時代は理想と逆行する、というわけです。
【マルクス『ユダヤ人問題によせて ヘーゲル法哲学批判序説』】
(この本の解説の中にそんなことが書いてあったのですが、いつの世も同じだなぁ、と思ってしまいますね)
どうもマルクス先生はこうしたところから問題意識を作っていってあそこまで大きな思想と運動にしていったらしく、そう思うとちょっとすごい気がしますね。こうしたことなら私たちでも思いそうです。Twitterなんか見たらこんなこと毎日誰かが言って怒ってますものね。
世界の解釈と変化
そしてこうした背景からマルクスはヘーゲルの哲学的態度にも疑問を抱きます。そしてとうとうヘーゲルに反旗を翻しました。
マルクスが言うには、これまで哲学者たちは世界を解釈してきた、しかしこれからは世界を変えることこそが必要である。
観照的態度から実践へ
ここにきて哲学者の役割が観照的態度から実践的態度へと転換されることになります。これが恐らく、ヘーゲル以降のニーチェとは異なる哲学的態度のひとつかもしれませんね。
次回のお話
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お話その299(No.0299)