前回のお話
アフォリズムとその源流と体系的哲学に反旗を翻したニーチェ
ニーチェがアフォリズム形式で哲学をするためにどうも誤解しやすい、ということがありますが、しかし哲学者としてニーチェだけがそうだったわけでもないそうです。
それは誰かといえばパスカルなんだそうです(解説に書いてあったと思う)。
遺稿としてのパスカル『パンセ』
パスカルは、人間は考える葦である、と言ったことで有名ですが、その哲学的主著である『パンセ』はいわば草稿集みたいな側面がありました。というのもパスカルは早くに亡くなってしまいましたので死後残されたものを編集して出されたのが『パンセ』だからなんだそうです。
【パスカル『パンセ』】
(この本はアフォリズムほどひとつひとつの文章は短くありませんが、それでもかなり短いものです。ちょうど今ならブログ一回分くらいのものがたくさんあるようなものかもしれませんね)
『エセー』に倣った『パンセ』
それだけでなくパスカルはモンテーニュの『エセー』を模範として『パンセ』を書きました。そして『エセー』自体もエッセイの語源となっただけあって、後の体系的哲学著作とは異なりひとつの問題を徹底的に論理的に考えていくような本ではありませんでした。そうではなくひとつひとつの話題はまとまってはいるけれども基本的には断片的な記述のまとめられたもので、『エセー』なり『パンセ』なりにひとつの問題を扱ったような哲学書としての側面はありませんでした。
【モンテーニュ『エセー』】
(こちらも同じ。ひとつひとつはそう長くありません。ただ有名な一節はかなり長いもので、たしか一冊分くらい丸々その節だったかと思います)
見解の一致を見るのに時間のかかったパスカルの哲学
そのためパスカルの哲学というものもパスカル研究者の間で一致した見解が持たれるようになるまでにはかなり長い時間がかかったそうです。それと同じでニーチェもニーチェという哲学者に対して統一的な観点を持つことが困難なんだそうです。
体系的哲学に反旗を翻したニーチェ
またニーチェ自身が模範としたらしものにラ・ロシュフコー(だったと思う)の『箴言集』があったそうです。
【ラ・ロシュフーコー箴言集】
ラ・ロシュフコーはその題名通り箴言集ですから、そもそもニーチェは体系的な哲学というものに反旗を翻していた側面があるのかもしれません。というのもニーチェの前より代表的哲学者はヘーゲルになりますが、ヘーゲルは大体系家でして、ヘーゲル以降はなにを考えようとしても必ずヘーゲルに戻ってきてしまう(つまりヘーゲルがどこかですでになにか似たようなことを考えてる)、なんて言われてしまう始末です。こんなヘーゲルの後に哲学するのも大変ですが、いわばニーチェはそれをやったようなものなのかもしれませんね。
【ヘーゲル『エンチュクロペディー』】
(ヘーゲルの体系家ぶりを知るにはこの本が1番わかりやすいんじゃないかと思いますが、最初の問題を扱うところから最後にまで至って、また最初の問題に戻るという円環のような形はなっていて、当時の学問をすべてその中に入れてしまったような無茶苦茶な本です。しかもこれは講義用のものらしく、実際の内容はヘーゲル自身による講義が補われるわけで、ちょっとついてけない気持ちになってしまいます)
そしてヘーゲルの体系ぶりに対抗するためにはそれまでの体系的哲学という方法をとること自体が難しかったのかもしれません。しかしそれは哲学史的には当然であったのかもしれませんが、ニーチェ自身にとってはとても大変な人生を送らせることになってしまいました。
かわいそうなニーチェ先生です。
次回のお話
お話その293(No.0293)