前回のお話
ヤスパースの精神病理学とフロイトの精神分析
哲学者ヤスパースの精神病理学
ヤスパースの大著は精神病理学の大古典となりましたが、この点についても一冊選集版の序文に面白いことが書いてありました。
【ヤスパース『新・精神病理学総論』】
ヤスパースと科学的な精神病理学
ヤスパースは精神病理学に携わっていましたが、後に実存主義の代表者のひとりとみなされるように、哲学へと転向しました。そのため精神病理学の方面も哲学的なのかというと、まったくそうではなく実に実証的なんだそうです。
そのため後々精神病理学の分野ではヤスパースの系統が科学的とみなされ主流になっていったのだそうです。しかし精神病理学についてはもう一つ同じ頃に別の考え方がありました。有名なフロイトによる精神分析です。
フロイトと哲学的な精神分析
フロイトはヤスパースと異なり自分の精神分析は最初から科学的なものであることを標榜していました。しかし精神病理学の世界ではフロイトを科学的とはあまりみなされていないそうです。フロイトのやり方は相手の内面に深く潜っていくようなやり方で、科学的というにはちょっと無理があるのかもしれません。むしろ精神分析医による職人的な手ほどきによって解決していくものとみなされたのかもしれませんね(よく知らない。序文にはそんなことまで書いてなかったかな)。
【フロイト『自我論集』】
(たしかここにあるエロスとタナトスの理論は後世に大きく影響を与えたようなことをどこかで読んだ覚えが…勘違いだったかな)
哲学者ヤスパースと科学者フロイト
ここで問題にされるのは、ヤスパースは哲学者になって科学からは距離を置いた立場になったのに、精神病理学の世界ではヤスパースの方が科学的とみなされスタンダードなものとみなされた。しかしフロイトは徹頭徹尾自分は科学者で精神分析も科学の一種であると自認していたのに、精神病理学の世界からは認められず異端扱いた。ということのようです。
そして哲学者ヤスパースの初期の著作が精神病理学における科学的な基礎となったのに対し、科学者フロイトの理論は精神病理学の分野以上に哲学や文学の世界において絶大な影響を与えることになっていきます。つまりその出自と後継者の関係において妙にねじれたものがあるように感じられるのでした。
これが必然的な関係性なのか、たんなる偶然なのかはわかりませんが、なんとなく面白い関わり方のようにも思えてきます。初期の科学が神学的な動機で科学を生み出してしまったりしたように、科学ではない哲学へ向かったヤスパースが科学的で、科学者と自認していたフロイトが哲学に影響していったわけです。そして多分、ヤスパースの精神医学の本よりフロイトの方が読まれているでしょうし、ヤスパースでも哲学の著作の方が読まれているような気がします。
なんだか科学的てか哲学的ということを考えてみたくなるようなお話ですね。
次回のお話
お話その291(No.0291)