前回のお話
歴史に残る師匠と弟子の微妙な関係
フッサールのお弟子さんハイデガー
フッサールの現象学は革命的な哲学でもありましたので、直接間接の影響の広さだけでなく、お弟子さんというものもたくさんいたようです。
【フッサール『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』】
その中で最も有名なのがハイデガーという人ですが、ハイデガーはとても難しくて私にはよくわかりません。でもどうやらフッサールの現象学を用いて、人間存在から存在そのものにまで思索を深めていくような哲学を行ったようです。
ハイデガーと実存哲学
こうしたハイデガーの哲学はのちに実存哲学とも呼ばれたりして、これまた有名なサルトルなどによって哲学の流派のようになってもいきました。
【ハイデガー『存在と時間』】
(こちらがハイデガーの本。3分冊になってます)
しかしハイデガーはサルトルたち実存主義者たちと自分は違う、ということを強調したそうです。サルトルたちは現実存在である人間の存在を探求しているのだけれど、自分は存在一般、もしくは存在そのものを探求しているのだ、ということらしいです。
師弟関係の軋み
けれど、そのハイデガーも師匠であるフッサールからすれば、自分の哲学を誤って理解した弟子の1人として見なされていたようです。つまりハイデガーにとってサルトルが、フッサールにとってハイデガーが、自分を受け継いでいるように述べながらも実際には違う、と感じていたということですね。
フロイトやユング
これは他にもフロイトとユングやアドラーのような関係にもあります。ユングやアドラーはフロイトの革命的な精神分析に魅了されて集った弟子たちの中の1人なのですが、共に研究しているうちにフロイトの考えが極端なのではないか、と思い出し、仕舞いには師匠であるフロイトを批判してわかれてしまいました。
【フロイト『精神分析学入門』,ユング『変容の象徴』】
マルクスとマルクス主義やケインズとケインズ主義
またマルクスはマルクス主義と名前までつけられている共産主義/社会主義の親玉のように思われている人ですが、自分では、私はマルクス主義者ではない、などと言っていたりもします。同じように20世紀において資本主義を救ったとも言える経済学者のケインズは、ケインズ主義者の言ってることはわからない、なんて言ってたりもします(たしかそんな言い方だったような気が…)。
【マルクス『資本論』,ケインズ『雇用、利子、お金の一般理論』】
プラトンとアリストテレス
考えてみると古代ギリシアの師弟関係でもあるプラトンとアリストテレスでもそうでした。プラトンにとってアリストテレスはアカデメイアの誇りであるくらいに優秀な学生でしたが、アリストテレスは今日に残された著作の中で何度もプラトンを批判して乗り越えようとしています。
【プラトン『テアイテトス』,アリストテレス『心とは何か』】
アリストテレスとアレキサンダー大王
またアリストテレスの弟子でもあったアレキサンダー大王も最初はとても密接な関係だったそうですが、インドへの東征の最中、従者として付き従っていたアリストテレスの近親者を処刑したこともありました。アリストテレスはギリシア中心主義のような政治思想でしたが、アレキサンダー大王は異民族との融合という政治思想を持っていたそうです。
師匠と弟子の因果関係
こうして振り返ってみると、案外師匠に反旗を翻した弟子が歴史的に多いことがわかりますね。またマルクスやケインズといった主義者たちはともかく、本人の直弟子で愛されていた者ほど、師匠から離れて自分一人で歴史に名を残すほどの成果をあげているような気もします。
これは元々偉くて放っておいても名が残ったのか、優秀であるがために師匠の教えですまず先へ進もうとした結果名が残ったのか、やはり師匠の影響によって逞しく育てられたからなのか、どういう因果関係があるのでしょうね。
次回のお話
お話その283(No.0283)