前回のお話
学問の基礎学としての哲学である現象学とその応用たち
哲学としての現象学
フッサール先生によって樹立された現象学ですが、これは哲学として打ち立てられました。そのため哲学の歴史の中に現象学というものは置かれるわけですね。
しかし現象学というのはなにも哲学としてだけではありません。数学化されたヨーロッパ学問とはことなる学問の水脈として考えられたわけですね。そのため単に哲学の一学説というだけでなく、学問の基礎としての哲学なわけです。まぁもともと哲学っていうのはそうした諸学の基礎学なんだぞ、って言われたらそうですね、ってうなずきますけれどね。
応用される現象学
そのため現象学は哲学としてだけでなく、他のいろんな分野にも応用されました。そして応用されることによって現象学は様々な成果を生み出していくことにもなります。
現象学と社会学
たとえば社会学ではアルフレッド・シュッツという人によって応用されて、現象学的社会学というものが現れました。説明したいところなのですが…残念ながら私は読んでないのですることが出来ないのでした(悲しい)。でも社会学が現象学と結びつきやすそうなのはなんとなくわかりますね。なにせ自分の体験というものが基礎となっているわけです。ですから自分の体験というものとどう結びついて社会が存在しているのか、探求するのに便利なような気が素人ながら浮かんできます。
【シュッツ『社会的世界の意味構成』】
(たしかシュッツの主著はこれだったかな。生前出版したのはこれ一冊だったような気がします。あとは講義録や草稿だったような気が…)
現象学と地理学
また同じようなものでちょっと変わり種で地理学というものもあります。これは読んだことがあるのですが、中々面白いもので、街中にあるモニュメントや道路などをどのように捉えているかを分析することによって街自体の在り方まで捉えていくようなものでした。なるほど、言われてみればその通りですが、街っていうものも私たちは体験しながら生きていますものね。なにも地図の上から見たり、都市計画に従って合理的にばかりその中で生きているわけでもありません。私たちは街というものを各々に体験しながらその世界に生きているわけで、その構造や機微がどうなっているかを調べるのもひとつの重要事であることには違いありません。
【レルフ『場所の現象学』トゥアン『空間の経験』】
(私が読んだのはこの2冊で、どちらもとても面白かったです。またトゥアンは他にも同じ分野で限定した対象を扱ったものがたくさんあります。翻訳も多いので、もし興味持たれたら次々読めて楽しいかと思います)
現象学と哲学
また哲学でも現象学は応用されてメルロー=ポンティという人は身体というものを考えました。身体というものは哲学的には中々難しい対象で、というのも近世懐疑主義者とでも言えたデカルトが徹底して考えた結果、心身二元論のような形になってしまったからです。身体は身体で精神とは別個に動いて働いているように考えられたのですね。それは同時に身体を機械的なものとして捉えることであり、まさに数学的に身体を捉えることです。それを現象学を使って身体そのものを体験することによって哲学し分析していこうとしたのでした。
【メルロー=ポンティ『知覚の現象学』】
(メルロー=ポンティはこれかと思います。未読なので詳しくは説明出来ません)
こうしてフッサールの現象学は20世紀前半を通してとても大きな役割を果たしたそうです。私ももっと読んでみたいなぁ。
次回のお話
お話その278(No.0278)