前回のお話
古代における懐疑主義と近代の哲学者たちの関心
近世におけるセクストス・エンペイリコス
近世になってからセクストス・エンペイリコスの本が出版されたということがどのような意味があったのでしょうか。実はあんまり詳しくないのですが、ちょっとまた無理して書いてみたいと思います。
学派的真理への批判と真理の相対化
セクストス・エンペイリコスの本は『ピュロン主義の概要』というものです。ピュロン主義というのは懐疑主義のことで、ピュロンという人が懐疑主義という立場を築いたのでピュロン主義=懐疑主義というわけですね。そして懐疑主義というものは既成の哲学的立場や真理を相対化して、最終的に正しいものがあるような立場を宙ぶらりんにするものでした。
【セクストス・エンペイリコス『ピュロン主義の概要』】
そのためセクストス・エンペイリコスの本は古代の哲学の理論を徹底的に批判しています。それはもう全方位に批判しているようなもので、読んでてなにが正しいのかわからなくなってきそうです。
そして、どうも近世にセクストス・エンペイリコスを読んだ哲学者たちもそのように感じたようです。一体どこに真理の根拠となるものはあるのだろうか、と。
古代の哲学者の問題意識と近世の哲学者の問題意識
確かに懐疑主義の立場は最終的な真理の立場を認めません。その認めない、という立場によって心の平静を得ようとするのが懐疑主義の哲学のはずです。それは古代の動乱期に生きた哲学者たちにとって必要な目標でした。しかし近世の哲学者たちにとっては別の問題があります。それは中世のスコラ哲学を離れて自分たちの哲学の立場を築かなければならないというものです。
【マルクス・アウレーリウス『自省録』】
(たとえばローマ皇帝でもあったマルクス・アウレーリウスはストア派の代表的な哲学者でもありましたが、度重なる戦争の中、かくも戦とは悲惨なものか、と言ったとか言わなかったとかで、ともかく相当な悲惨な社会情勢の中、どうやって個人がまともにいられるか、ということは大変重要な問題だったであろうことが偲ばれます)
スコラ哲学からの自立を目指す近代哲学
中世における哲学はキリスト教と結びついた神学でもありました。それは文字通りキリスト教と分かち難く絡まり合っています。しかしそんなキリスト教的スコラ哲学も中世末期には衰退していきます。代わりに哲学自体が自立していこうとする気運が高まり、神学であったキリスト教と切り離そうとします。
ですが近世初期において哲学というものはスコラ哲学しかありません。中世の千年間を通じて発展してきたスコラ哲学は、中世の哲学として自分たちの立場をしっかりと築いてきました。それこそ古代にストア派や新プラトン主義といった中での護教論や結合を潜り抜けることにより盤石な哲学的立場を近世初期(もしくは中世末期)には持ち得ていたわけです。
【中世思想原典集成20 近世のスコラ学】
(たしかこの本の解説に近世哲学と中世末期のスコラ哲学との根深い関係が書かれていたような気がします。どうだったかな…)
そんな中で近世初期の哲学者たちはスコラ哲学に対して自分たちの立場を作らなければなりませんでした。そんな中でセクストス・エンペイリコスのような懐疑主義の哲学と出会うことによって衝撃を受けたのだそうです。
次回のお話
近世/近代哲学における、古代懐疑主義からの影響による認識論の基礎づけ ~セクストス・エンペイリコスからデカルトへ - 日々是〆〆吟味
お話その272(No.0272)