日々是〆〆吟味

自分で考えていくための参考となるお話や本の紹介を目指しています。一番悩んだのは10歳過ぎだったので、可能な限りお子さんでもわかるように優しく書いていきたいですね。

失われた古代の古典と新しく出版されることにより蘇る問題意識 ~古代の懐疑主義により与えられた近世哲学の問題意識

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前回の 

プラトンのアカデメイアと哲学の変遷 ~プラトン亡き後のアカデメイアの研究態度の変化 - 日々是〆〆吟味

 

失われた古代の古典と新しく出版されることにより蘇る問題意識

現代にまで影響を与える古代の懐疑主義

懐疑主義というものがピュロン主義というものとプラトンアカデメイアの末期にストア派に対抗する形で現れてきたのですが、これはどちらも古代の時代においての話です。そして懐疑主義というものはこうした古代の哲学を指すのが一般的なのだと思いますが、実はこの懐疑主義、それもピュロン主義の後世まで残されたセクストス・エンペイリコスの本によって、実は現代にまで大きな影響を与えていたりもするのでした。

 

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案外残っていない古代の哲学

古代の哲学や神学というものは結構忘れ去られて今日まで残されていないものが数多くあります。懐疑主義といってもピュロン自身の書いたものは残されていませんし(それとも何も書かなかったんだったっけな?)、アリストテレスの著作でも生前自分で出したものは残されていません。このような都合ですからプラトンアリストテレスの全集のように全貌を知れる形で残されていることの方が珍しいのだと思います。

 

ソクラテス以前哲学者断片集,初期ストア派断片集】 

 

(残ってない古代の古典の代表みたいなのがこうした集成なのですが、ともに5〜6冊くらいあります。中身は同時代や後代の人たちが自著の中で引用したり要約したり紹介したりしたものを集めたものです。もとの本となるものはもうないんですけど、その本を読んだ人たちが書いたものを関係のある箇所切り取ってまとめたような本ですね。残念ながら私たちはこういう形でしか失われた書物の内容を知るしかありません)

 

修道院に死蔵されて忘れられた古典たち

また残されているんだけど忘れ去られているということもあります。近世に入るまでは出版なんてありませんから筆写です。そもそも本自体が物理的に多くないうえに、中世を通じて高級文化の蔵書を有していたのは修道院などの書庫になります。この中身が現代でもまだ手付かずらしく、まだ眠ったままのものも多いのかもしれません。こうした本はあるにはあるけど誰も知らないわけです。こういう本は存在しているけど存在していないのと同じになってしまうわけですね。

 

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出版が可能になってから再び現れた古代の古典

そうした中、古代の書物が近世になってから出版されるということもあったようです。そしてもちろんそんな本の内容は当時の現代人であった近世の人々は知りません。21世紀の現代人からすると歴史の流れの中において見てしまうので、つい新しい人たちは過去の人たちのうえに成り立っていると思いがちです。そして事実確かに過去を踏まえて新しい思想を生み出したりしているわけですが、今述べたような状況ですと知りたくても知りようのない本や情報というものも間違いなくあるわけです。

 

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新しい本としての古代の本

そうした中で近世人が古代の本を出版されることによって読むということは、ある意味ではとても新しいものを知ることと似ているのかもしれません。少なくとも自分たちの身の回りや、常識的に知る限りでの過去の姿とは異なるものを見せてくれることにもなったかと思います。

 

【セクストス・エンペイリコス『ピュロン主義の概要』】 

そしてそうした新しい古代の書として、セクストス・エンペイリコスの本が近世人に読まれたというのでした。

 

少し長くなってしまいましたので次回にまわしたいと思います。

 

次回のお話

古代における懐疑主義と近代の哲学者たちの関心 ~セクストス・エンペイリコス『ピュロン主義の概要』の後世の影響 - 日々是〆〆吟味

 

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お話その271(No.0271)