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懐疑主義の持つ特定の心理を報じない積極的判断停止の立場 ~心の平静をもとめるひとつの知恵 - 日々是〆〆吟味
ピュロン主義としての懐疑主義とセクストス・エンペイリコスの著作の歴史的意義
懐疑主義というものがそれぞれの立場において真理を主張する中、どの立場にも属さず判断停止にとどまることによって論争の煩わしさから逃れて平静を保つ、というものである、というそういう哲学なのですが、しかしこの懐疑主義というものもひとつの立場ではなかったそうです。
ピュロン主義としての懐疑主義
懐疑主義と呼ばれるものとしてまず結びつけられているのがピュロンという人だそうです。懐疑主義というものはいわばピュロンという哲学者が唱えだした哲学なのであり、当時は懐疑主義というよりピュロン主義と呼ばれていたそうです。これが前回説明したようないわゆる懐疑主義になるのだそうですが、ただ実際本当にその通りであったかはわかりません。
遺されていないピュロンの著作とセクストス・エンペイリコス
というのもピュロン本人の書いたものが残っていないからです。現代において懐疑主義というものはピュロン自身の書いたものはわかりませんので、ピュロンという人が何代も下った後の人であるセクストス・エンペイリコスという人の書いた本によって知られることになっています。もちろんセクストスの述べていることがピュロンの言ったこととまったく一緒かはわかりませんが、残念ながら新しくピュロンの本が見つかりでもしない限りこれで満足しなければならないそうです。
【セクストス・エンペイリコス『ピュロン主義の概要』】
(こちらがその本。懐疑主義の基本的な古典ですね。立場が立場なので読んでると混乱してきそうな気もします)
セクストス・エンペイリコスの著作によって遺された古代哲学の断片
そしてセクストス・エンペイリコスの書いた懐疑主義の本というのはもうひとつ現代から見て大きな特徴があります。それは懐疑主義という立場の必然として、自分たちの立場と異なる哲学に対して徹底的に批判して論破しようとしているところにあります。
なぜこれが大きな特徴となるのでしょうか。それはピュロンと同じくストア派やエピクロス学派の本というものもほとんど残ってないからです。そのため他の人の書いた本の中に引用されたり要約されたものを断片として当時の著作を把握しなければなりません。その時懐疑主義派であるセクストス・エンペイリコスの本は他の哲学について論破するために徹底的に批判するために、相手の哲学について詳細に説明しているのです。
【セクストス・エンペイリコス『学者たちへの論駁』】
(こっちはさらに大著で三分冊です。そしてそれぞれの分野にわかれながら徹底して他の哲学を批判しまくっています。実に壮観です)
そのため残念ながら当時の遺されていないストア派やエピクロス学派や他の哲学の文章というものは、かなりの大部分がセクストスの本を通じて現代に知られているということになっています。いわばローマ時代の哲学におけるタイムカプセルのような役割を果たしてくれているわけですね。それは完全な形ではないかもしれませんが大きな手がかりを与えてくれるものとして、現代において懐疑主義の哲学とは異なる点で重宝されていたりもするらしいのでした。
あれ、話がまたズレてしまいました…。おかしいな。2つの懐疑主義について書くつもりだったんですけど…また次回に頑張りたいと思います。
次回のお話
アカデメイアに起こったピュロン主義とは異なる懐疑主義 ~ストア派に対するための後期アカデメイア的懐疑主義 - 日々是〆〆吟味
お話その268(No.0268)