前回のお話
ローマにおけるキリスト教の関係と苦闘 ~社会から疎外された者の新しい存在としてのキリスト教 - 日々是〆〆吟味
キリスト教と周囲の哲学や思想との緊張関係
キリスト教が新しい普遍的な思想として世界史に現れてきたのはいいのですが、それはのちの時代になった現在から見てそう言えるわけですね。当時のキリスト教としてはまわりの哲学や宗教と常に接しながら自分たちの存在を確立する必要がありました。
ローマ社会内におけるキリスト教のかよわい立場
もしそうでなければキリスト教やキリスト者というものは他の集団に埋没して消滅していたかもしれません。ローマ世界において新興勢力でしかなかったキリスト教は自分たちの独自性を示さなければローマ社会の中に自然消滅していたかもしれませんし、ユダヤ人の中においてはイエスも新しいユダヤ教の預言者とみなされたままであればキリスト教ではなくユダヤ教の新宗派のひとつで終わっていたかもしれません。そしてキリスト教が生まれた時点ではローマ哲学やユダヤ教というものは既に相当の層の厚さがあったわけです。
身を守るための護教論
そのためキリスト教はまず自分たちの立場を守るための行動に出たと言います。それが護教論と呼ばれたもので、ギリシア=ローマ哲学に対しいかに聖書の教えが正しいか、またユダヤ教に対しいかにキリスト教が決定的に新しく価値があるか、ということを述べなければなりませんでした。
【中世思想原典集成 ギリシア教父】
(これは初期のキリスト教のうちギリシア語で書いた人たちのものを集めたものです。今回のお話はこの中の解説で書かれていたものが中心になるかと思います。よければ解説部分だけでも読んでみてくださいね)
しかしそれは常に対抗するギリシア=ローマ哲学やユダヤ教に接した形で自分たちのオリジナリティを説明しなければならなかったのであり、キリスト教自体で独自の思想を打ち立てるところまではいかなかったそうです。そうした役目をのちの時代に行っていくわけですね。
【アームストロング『古代哲学史』】
(古代の哲学をソクラテス以前のタレスからキリスト教神学の立役者アウグスティヌスまで取り扱った珍しくかなり長いスパンの哲学史。でもあんまりキリスト教については詳しくは書かれておらず、哲学中心だったような覚えがあります。どうだったかな?)
ですがオリジナルなものを生み出すわけではなかったらしい初期キリスト教の護教論ですが、もしこれがなければキリスト教自体が消滅していたかもしれないので非常に重要であったそうです。
キリスト教内部の異端との戦い
さらにまたキリスト教もそんな状態で自分たちの立場が固まってもいないものですから、内部でちょっとズレていった違う考え方も現れてきます。いわゆる異端というものですね。恐らく最も有名なものはグノーシス主義というものかと思いますが、こうした異端ともキリスト教は戦っていかなければなりませんでした。
こうした異端は他の哲学や宗教の考え方と結びついてキリスト教自体の独自性を損なうような考え方になっていった側面のものもあるそうです。それは常に他の哲学(ギリシア=ローマ哲学)や宗教(ユダヤ教)と接しているために必然的に起こってくることかもしれません。そうした哲学や宗教から独自性を確立しなければならない時期ということは、簡単に影響されるということでもあるのでしょうね。
また初期のキリスト教思想家の中には後々まで影響を与えてキリスト教の歴史に残っているほどの思想家であったとしても、異端とみなされた人たちもいたそうです。これは別に古代だけでなく中世末期になってもあったそうです。
【オリゲネス『諸原理について』】
(なんでもオリゲネスは古代キリスト教で最も重要な思想家なんですけど、異端扱いされたそうです。なんだかややこしい難しい関係ですね。オリゲネスのこの本は残念ながら読んでいません。上の集成に入っているものだけ読んだことがあります)
なんだかキリスト教といっても一筋縄ではいかない話ですね。
次回のお話
ストア派とキリスト教のローマ社会における立場と相違 - 日々是〆〆吟味
お話その264(No.0264)