日々是〆〆吟味

自分で考えていくための参考となるお話や本の紹介を目指しています。一番悩んだのは10歳過ぎだったので、可能な限りお子さんでもわかるように優しく書いていきたいですね。

アリストテレスの時点で相当の完成を達していた道具としての論理学=オルガノンと、現在まで残るアリストテレスの著作における数奇な運命の経緯

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前回のお話 

論理とは異なる具体的で複雑な個人的体験と、他社理解の際に行われる単純化した論理によって押し付けられる非寛容なエゴイズム - 日々是〆〆吟味

 

アリストテレスと論理学とその著作の経緯

分析論前書 分析論後書 (新版 アリストテレス全集 第2巻)
 

思考と論理と言葉

論理というものがあまりあてにならないらしいということはカント先生から教えられてなるほど、と思わないでもないのですが、では人間は論理抜きに考えたり出来るのかはちょっと疑問です。特に考えるっていうことは普通言葉を使って考えることを意味するかと思うので(他にどうやってやるんだろう)、言葉を使って考えられたものは論理の形をとってしまいそうな気がしますね。

 

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アリストテレスと論理学

そして論理っていうことを最初にまとまって考えたのはアリストテレスのようです(東洋や他の地域ではどうかは知らない)。しかもそれだけではありません。アリストテレスの論理学というものは、アリストテレスの時点でほとんど完成していたほどに立派だったそうです。

 

【出隆『アリストテレス哲学入門』】 

(これはアリストテレスのアンソロジー兼解説となっていまして、アリストテレス全体の著作からそれぞれ短い翻訳がおさめられ、冒頭に旧アリストテレス全集の責任者であった出隆の解説が載っています。この解説は全集版『形而上学』に載せられているとのと同じだと思いますが、とても本格的で理解の深まるようなものだったような気がします。手っ取り早くアリストテレスの全体を知るためにはいい本だと思います。少なくともアリストテレス全集を全部読むより20分の1くらいの労力で読めます)

 

 

それはカント先生曰く、論理学はアリストテレスの時点から今日までなにひとつ進歩していない、なんて言われたりもします。しかしどうやらこれはちょっと過大評価らしく、アリストテレスからカント以前の間にも論理学は進歩していたそうです。

 

【カント『純粋理性批判』】 

(この序文の中でそんなことが書かれていたそうです。詳しくは忘れました)

 

完成されているアリストテレスの論理学

ただカントが言うくらいにアリストテレスの論理学というものは大変完成されたものとしてあったことは変わりないようでもあります。そしてあまりにアリストテレスの論理学が優れていたからでしょうか、アリストテレス以降の哲学者たちはアリストテレスの論理学を基礎に置きながら考えたような一面もあるそうです(完全にそうじゃないみたいですけど)。

 

アリストテレスの著作の経緯

といってもこのあたりの事情は複雑に入り組んでいるようです。なにせアリストテレスの著作はいっときヨーロッパ世界から行方不明になりました。現在私たちが知るアリストテレス全集の中身はイスラーム経由でヨーロッパに再輸入された形になっていますので、それまではアリストテレスに対する知識は不十分なものであったそうです。

 

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なんでもアリストテレスが生きていた頃は、アリストテレス自身が出版した本がいくつもあり読まれていたそうです。しかしそれはローマ時代を経て、いつの間にか読まれなくなり失われてしまいました。そしてそれとは別にアリストテレスの著作というものがあったのですが、それが、当時の古書マニアの王様に狙われるのを恐れて洞窟に隠したまま100年くらい忘れ去られて、それからたまたま発見されて世に知られた、というような伝説があります。この伝説が本当なのかどうかはわからないそうですが、そうして新たに発見されたものが今のアリストテレス全集となるものであって、しかもそれらは講義録やノートの類であると想定されているそうです。

 

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つまりアリストテレスは読者向けに書いた本は失われてしまったのですが、自分の学園(リュケイオンっていう。かっこいい名前)の学生たちに向けて行った講義の内容の原本らしきものが残されたわけですね。もしかしたらこっちの方が学園向きでエリート的な難しい水準だったのかもしれません。

 

オルガノン=道具としての論理学

そしてそんなアリストテレスの全集のうち、最初の方の著作をまとめてオルガノンと呼ばれ、それが論理学の古典となっています。なぜオルガノン=道具と呼ばれるかというと、論理学というものは森羅万象を探究していくための道具としてある、とアリストテレスは考えたからだそうです。アリストテレスによれば論理学というのはそれだけで独自の分野というわけではなく、一種の技術みたいなもんだったんですね。

 

アリストテレス全集1.2】 

(これがオルガノンと呼ばれるアリストテレスの論理学関係の著作なのですが、全部で5作くらいになるのかな。私は旧版でしか読んでないので旧版にしました。今回の記事の冒頭にあるのは新版です。新版だと各タイトルが出てて便利ですね。ですがここでは一応読んだものにしておきました)

そしてこの論理学方面のものが中世にイスラーム経由で他の著作と共に入ってくることによって、中世の基本的な学問分野ともなっていったそうです。

 

次回のお話

中世ヨーロッパの暗黒時代のイメージと裏腹に、高度に維持・発展させられていた中世論理学の意義と、物事の認識のために必要な基礎となる論理学と数学との違い - 日々是〆〆吟味

 

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お話その248(No.0248)