前回のお話
神の認識のための人間理性の限界 〜神は何者であるかのように理解できず闇のよう - 日々是〆〆吟味
科学の認識とわからないものへ向かう理解への営み
認識出来ないものとしてのこの私
神というものが人間の理性、言い換えると積極的な思考能力によって捉えられないものだとすると、自我とかこの私とかいうものも、やはり同じように人間の理性によっては捉えきれないものかもしれません。
これは他の領域と同じく経験的なものによって捉えることが出来ないからですね。現在の科学がどこまでわかっているのかは私には知る由もありませんが、脳みそを取り出してこれが自我とか私とか言うことは出来ないでしょう。
物質としての脳と現象としての私
代わりになにが出来るのかといえば(って、そんなこと私にはよくわからないのですが、なんとなくだけで説明させてもらえば)、ひとつひとつの脳内の物質の働きを知ることが出来ているのだと思います。シナプスがどうとか、ホルモンがなんちゃら、といったことなんでしょうね(無知を晒すのでこの辺でやめときます)。
【池谷裕二・中村うさぎ『脳はこんなに悩ましい』】
(脳科学者と現代の無頼派作家ともいえる2人の対談。対談なんで読みやすくて面白いです。脳自体についてはあまりしつこいような説明はなかったかな? よければご一読ください)
しかしそうした脳内の物質の作用がそれぞれわかっても、自我とか私とかは直接わからないのだと思います。自我とか私とかはそうしたものの総合的に現れてくる現象であって、単一的な説明が出来ないのだと思われます。こうなってくるの総合的にこうと考えられる、という説明になって、自我とか私とかアイデンティティとかになってくるのかもしれませんね。
【エリクソン『アイデンティティ』】
(アイデンティティの生みの親、エリクソン先生の本なんですが、似たタイトルの本がたくさんあってややこしいです。なんでだろう)
人体の均衡とその理由の不可解さとホメオスタシスという概念
たとえばホメオスタシスという考え方があるのですが、これは生理学の概念だそうです。キャノンという人が言い出したのだそうですが、それは人体のバランスがなぜ均衡に保たれているのか、理由がわからないそうです。そのため、なぜ血液の量が一定なのか、わからない。なぜ体温がほとんど一定なのか、わからない。なぜちっちゃな傷は放っておいても治るのか、わからない。とまぁ大体こんな感じで人体の不思議をつらつらの説明してくれて(おぼろげな記憶で書いているのであってるのかはわからない)、その結果なぜかはわからないが人体は一定の状態に保たれる能力がある、それをホメオスタシス=恒常性と読んだわけですね。
【キャノン『からだの知恵』】
(人体や生理学についてなにも知らない私が読んでも面白かったです。ただなにも知らない分他よりもっと理解が出来てない可能性が高いですので、よければこの本読んでみてくださいね。なぜか古本屋でよく見かけます。なんでだろ)
わからないものへの理解の営み
なんだかこの、よくわからないものを重ねていって、その後そのわからなさを通してひとつの考え方に至るやり方は前回書いたような、神学における否定神学と似ているなぁ、なんて思ったりもします。神はなんなのか、ということはわからなくてもそりゃそうだろう、なんて思えるからいいのですが、生理学なんて科学の分野で、それも人体という誰もが身近に有しているようなものであっても案外同じ方法によって理解している側面もあるのか、と思うと不思議に思えてもきます。
しかし考えてみるなら、人間の認識能力はカントが定めたように共通した働きと限界を持っているはずです。ですから神学や哲学といった経験知不可能な領域でも、生理学のような科学的な領域でも、その思考能力=理性の使われ方やその範囲の中でしか理解できないのだとすれば、似ているように思えても当たり前のことなのかもしれませんね。
次回のお話
よくわからない世の中の不思議と最終的に理解不可能な領域の問題に対して意識してしまう社会構造の中の私 ~もろもろの問題を意識させられる要因は変化しても、また新たな問題が意識させられる - 日々是〆〆吟味
お話その241(No.0241)