日々是〆〆吟味

自分で考えていくための参考となるお話や本の紹介を目指しています。一番悩んだのは10歳過ぎだったので、可能な限りお子さんでもわかるように優しく書いていきたいですね。

考える力を持つ人間の思考能力の可能な領域と限界 ~人間の考える力は言葉によって論理的に行われるが、論理的な方法では最終的な決着をつけれず経験的な領域に限られるべきだが、それを超えて考えてしまう

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前回のお話 

アイデンティティとはその意味をわかりやすく簡単に言うならば人間の精神をまとめあげる機能である ~種々雑多な意味ある情報を〝この私〟によってばらけないようにまとめる精神機能 - 日々是〆〆吟味

 

考える力を持つ人間の思考能力の可能な領域と限界 ~人間の考える力は言葉によって論理的に行われるが、論理的な方法では最終的な決着をつけれず経験的な領域に限られるべきだが、それを超えて考えてしまう

純粋理性批判

純粋理性批判

 

とりあえず考え出される概念

アイデンティティといった考え方も人間の精神を説明するためのとりあえずの概念であったり、いわばひとつの精神現象を理解するための方法だったりするようですね。それはアイデンティティなるものが人間の中から直接そのまま取り出して見せてしまえるようなものではなく、様々な分析や調査からそう捉えられなければならないように思われるものとして、概念化して説明するのだと思います。

 

直接知ることの出来ない領域

なんでこんな手間みたいなことをしなければならないかといえば、人間にとって直接知って理解できるものではないからです。目の前にリンゴがあって、これはリンゴ、と思うのは見ることも触ることも食べることも直接出来るからですね。つまり感覚によって知ることが出来る具体的な対象なわけです。

  

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それに比べると抽象的な対象は感覚によって捉えられることは出来ません。愛とはなにかとか、正義とはどのようなものか、ということはリンゴのように知ることは出来ないわけです。とっても仲の良い2人を指してあれが愛だ、ということは出来るかもしれませんが、実は演技で腹の中では軽蔑していることもあるかもしれません。そうなると単に表面的に仲良くしているだけでは不十分で、本当に仲が良いってことはなにか、なんてこと考えていかなくてはいけなくなるかもしれませんね。そうすると直接知ることの出来る領域だけでは満足できなくなるかもしれません。

 

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直接知ることの出来ない難問と直面する思考 〜哲学とか思想とか

こうしたことから哲学とか思想といったものは生まれてくるのかもしれませんが、同時にこうしたことは人間の思考能力においてなされるものですね。そして個人で考える場合大抵は言葉を使って考えるのであり、論理によって考えていくわけです。絵や形や音で考えることは出来ませんからね(ただ言葉は元々音であり、人間の器官において喉で発音することがとても容易であって、そのため音節を細分化していくことによって声にし、意味を生み出していったため、音で考えるということはもしかしたら間違いかもしれません。そしてそうした言葉を文字にするということは図形化=形にするということでもあり、形で考えているということも出来ているのかもしれません。ただどちらも記号を細分化して意味をたくさん生み出せるから色々と説明出来るのかもしれませんね)。

 

ソシュール『一般言語学講義』】 

(言葉が元々音だったような説明はこの本だったかなぁ…ちょっと自信がありませんが一応載せておきます)

 

論理による思考能力の限界

しかしカントは論理によって考えることには限界があることを示しました。それはある問題に対して正しいとも間違っているとも、どちらも論理的に正しく説明することが出来る、とそういうわけですね。そして人間の思考能力は論理だけでは決着をつけることが出来ないから、確かめることが出来る経験的な世界にのみ限るべきだ、と考えました。その限定された領域が科学というわけですね。

 

【カント『純粋理性批判』】 

(後半に4つのアンチノミーという有名な箇所があって、そこでそれぞれ正しいとも間違っているとも論理的に説明し、さらにその反論も両方とも論理的に説明していたりします。ここから論理の範囲だけではどちらも間違いなく説明できてしまうことを示されたのでした)

 

限界の領域外においても考えざるを得ない人間の思考能力

それはいいのですが、こうして実際に確かめることが可能な領域というものは結構狭いものです。言い方を変えると、実際に確かめることが出来ない領域においてもなにごとが対処しなければならない問題というものはあるわけです。そうした時人間は自分の思考能力で考えなくてはいけなくなるわけで、そうした時困ってしまいます。

 

ですがやはり考えずにいられないような問題はあって、カントは理性は答えられないような問題でも考えざるを得ないようになっている、とも述べていたかと思います。そのため経験的に確かめることの出来ないことも考えてとりあえず答えを出してしまわなければなりません。

 

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そうした経験的に確かめることの出来ない対処のひとつとして〝この私〟とか自我とか、神とか社会というものがあるんだろうな、と思ったりもするのでした(カントは中世の神学論から、論理だけで神を答えようとしても無理だよ、と説明したかったようでもあります)。

 

次回のお話

神の認識のための人間理性の限界 〜神は何者であるかのように理解できず闇のよう - 日々是〆〆吟味

 

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 お話その239(No.0239)