日々是〆〆吟味

自分で考えていくための参考となるお話や本の紹介を目指しています。一番悩んだのは10歳過ぎだったので、可能な限りお子さんでもわかるように優しく書いていきたいですね。

芸人の舞台からテレビへの移動と、今新しいネットへの移動から旧世界の状態への回帰の可能性 ~新天地への開拓者たちと成功者、成長の期待と飽和状態、熾烈な競争とプロの世界により帰結する旧態依然の実力者の世界への決着

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テレビからネット/YouTubeへの変化と回帰的推移の可能性 〜素人と玄人、もしくは空白の余地と飽和状態の熾烈な競争

テレビの素人の時代とネットの素人の時代(前回のお話)

TVが一時期は素人の世界で、師弟関係といった伝統的な芸能世界から切り離された普通の人々が参入できるように感じられる時代があったとして、しかし当時の素人とみなされた若者たちは数十年の時を経て本物の玄人になりました。そして素人として現れてきたTVという世界も、彼らによって洗練された至芸の世界となり、桁違いの化物みたいな芸人が各世代で層になっていて、かつてあったような素人の参入など不可能になってきました。そしてその代わりにネット、YouTubeによって新たな素人の時代が現れてきたように見える、といったお話を前回してみました。

 

吉本隆明『情況としての画像』】 

 

前回のお話

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敷居の低いネット世界

ただ、これが本当に新しい世代による素人の時代の楽園か、というと、もしかしたら全然違う可能性もあります。というのも、かつてのTV以上にネットやYouTubeは参入しやすすぎるからです。文字通り誰でもやろうと思えば始められます。ブログだって、私がこうして書いているように始めたければ素人でも始められるわけです。

 

それがどうした、当たり前じゃないか。だからこそ誰にでもチャンスがあるんだ、と、そう思うのですが、代わりにその誰でもの中に素人以外でも参入可能だ、という点も一応忘れてはいけないのかもしれません。

 

プロフェッショナルの参入

キングコング梶原がカジサックとしてYouTuberになったのは大きく話題になりましたが、最近でも江頭2:50が同じくデビューしました。彼らは先に述べたようなTVでの芸道世界のプロであり、長年の蓄積を経た実力者でもあります。いわば笑いの専門家である芸人が、舞台からTVに移動するように、今度はネット/YouTubeに移動してきたわけです。

 

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今のところこうした移動はさほど大きなものではないかもしれません。YouTubeデビューというもの自体が話題になるくらいですから、まだ当たり前ではないわけですね。梶原がYouTubeをやると言った時はむしろTVで活躍する芸人仲間は批判的だったように見えました。理由は多分簡単で、TVではなくネットに出て活躍するのはTVに出れない芸人のすることで、落ち目であまり腕のない奴のすることだ、という理解が仲間内であったからではないでしょうか。ゴー⭐︎ジャスみたいにTVでは一発屋のキャラ芸人とみなされ、やや揶揄されるような(イジられる?)立ち位置の人がネットに新天地を求めて成功するのはわかるが、キングコング梶原は、それにしては売れすぎていて実力者すぎる、というわけでしょう。つまり、なぜわざわざそんな僻地に、落ち目のやつのところへ行くのか、ということなのかもしれません(ゴー⭐︎ジャスさん、ゴー⭐︎ジャスのファンのみなさん、酷い例えでごめんなさい)。

 

確立されたテレビの芸道世界と新たなネットの芸道世界

なぜそのように受け止められるかといえば、TVの芸道世界からすればネット/YouTubeの世界というのはプロの芸人のいない世界だからですね。まさに彼らからすれば素人の世界なわけです。そこに無名の若者たちが参入してきて、TVとは別に独力で人気者になり、ことと次第によってはTVをしのぐ人気を勝ち得ていたりするわけです。しかしそれはTV的芸道世界からすれば、素人さんのやっていることでプロである我々がするものではない、といった認識が、多分あったのだと思います。

 

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かつてあった舞台からテレビへの芸道世界の移動

しかし前回も書きましたが、そもそも今日のTV自体がそうしたかつての芸道から見れば素人とみなされた(師弟関係のない、学校出身者で占められた)新しい世代によって作り上げられていったものでした。なぜそんなことが出来たかといえば、かつての芸道に属していた人たちの活躍の場は舞台だったからです。そのためTVという世界には誰もまだプロはいなかった、少なくともそれまでの舞台による芸道世界と同じだけの蓄積を持つプロの世界はまだ成立していなかった、と捉えてみることも出来ます。

 

そこで舞台で腕を磨きながらも新しい世界(TV)へとやってきた人たちがその世界の在り方も作っていったわけですね。そういえばピンマイクもバラエティで使ったのは欽ちゃんが初めてだったそうですが、そうした整備もいちからやらなくてはいけなかったのでしょうね。

 

萩本欽一『「笑」』ほど素敵な商売はない】 

 

新天地と開拓者と王者

考えてみるとこれは経済における近代化の役割と似てるようにも思います。既にある伝統社会の中で近代化するためには制度設計からインフラ整備、とあらゆるものを必要とします。道路も学校もすべていちから作らなければなりません。そのため経済が活発に動き、高速回転するとともにそこで作られた土台が基礎となっていったわけです。

 

https://www.waka-rukana.com/entry/2019/10/08/170059

 

ITでも同じかもしれませんね。ソフトバンク楽天も最初はベンチャーでしたでしょうが、今や日本の基幹企業とでも呼べそうです。しかしその最初には誰もがソフトバンク楽天の可能性があったのかもしれません。ここでもまだみな新参者(素人とはさすがに言えないでしょうけど)が一斉に入ってきた世界があり、その経過の結果チャンピオンとなったのがこうした企業だ、ということにでもなるでしょうか。

 

【井上篤夫『事業家の精神』/三木谷浩史楽天流』】 

空白の余地と成長と素人の時代

ですが、これはなにもITにおける企業だけの問題ではないかもしれません。個人のYouTuberであっても、結局はこうした新しく現れた空白の世界は埋め尽くされてしまうはずです。そしてTVもさんまやダウンタウンを頂点とした分厚い層が出来てしまうように、ネットやYouTubeでも同じことが起こる可能性もあります。つまりネットやYouTubeで素人の時代というのは、まだまだ空白の余地がたくさん残されている間の出来事なのかもしれません。

 

そういえばスマホが登場し、スマホでゲームが現れて来だした時、パスドラが一足先に頭角を現し注目をされたことがありました。日経新聞でも新しい経済圏が生まれた、と数度記事になっていた覚えがありますが、数年もすると記事の論調も変わり、みながみな恩恵を得られる時期は過ぎ去った、なんて書かれていました。つまりそれまではスマホでゲームが新しく、出せばどこでも身入りが期待出来たけど、飽和状態になって同業者で顧客の取り合いがはじまった、というような内容だったかと思います。さしずめネットであれば今このように書いたり読んだりしているブログがYouTubeによって顧客獲得で敗れつつある、という認識なのかもしれません。しかしまた、YouTuber同士の間でも同じことが起こる可能性もあります。当たり前のことですが、面白い人に視聴者は流れるはずです。

 

空白の素人の世界から、飽和状態の熾烈な競争による洗練された玄人の世界

そして、この面白さにおいてTV的芸道世界で芸を磨いてきた人が、そんなバックボーンなどない人と比べてどれくらい勝利出来るのかはわかりません。いえ、もし今のネットのみのYouTuberが優れた作品を作り確固たる地位を築いても、それはTV的芸道世界にいた人たちと比べてまったく素人ではなくなっていることを意味するでしょう。つまりかつてTVにあった素人の時代が今日のTV的芸道世界を作り上げたように、ネット/YouTubeもまた独自に洗練させた芸(もしくは表現)の世界を作り上げることになるかと思います。しかしそうなったら最早ネットやYouTubeは素人の世界ではありません。独自の、洗練された玄人の世界へとなります。その世界で同じように活躍したければ、同じようにやり方を学んで腕を磨き、その世界で太刀打ちできるようになってようやく参入を許されるようになります。そしてプロ同士の熾烈な競争を生むでしょう。今のTVと同じ状況になるかもしれません。

 

テレビとネットとスポンサー/広告主関係

それだけでなく、広告主との関係もあります。TVが制限多いのはスポンサー関係があるからとも考えられます。基本的にTV番組はスポンサーによって制作費を賄っていますが、それはTVこそが最近まで最も多くの人が見るメディアだったため、広告効果も最も大きかったからです。そしてスポンサーによる企業や商品イメージが損なわれるような場合には、当然スポンサーは降りることも出来ます。そのためTV局はスポンサーに離れられないように広告効果の高い人、すなわちスキャンダルがない(スポンサーイメージを損なう)、視聴率がとれる(広告対象を集められる)、綺麗な人(商品イメージとして使える)を番組で使うと考えられます。企業側からしても同じで、同業他社に敗れていつ市場から撤退しなければならないかわからない中商品イメージを作り上げて商品を売り続けているので、タレントの事情を配慮できるような余裕はないわけです。そのためきっとTV局側での自主規制も強くなっていったのだと思います。

 

https://www.waka-rukana.com/entry/2019/10/09/170029

https://www.waka-rukana.com/entry/2019/10/10/170055

https://www.waka-rukana.com/entry/2019/10/11/170027

 

【ユーウェン『浪費の政治学』】 

 

またネットが出てくるまでは常に最大の広告媒体だから気を使わなくてもよかったけど、スポンサーがネットとTVの両方を天秤にかけて広告費を出すようになったから、という理由もあるかも知れません。それはTV局にとってスポンサーの広告費を取り合うライバルが出てきたから、簡単に失敗しないように自主規制を強くしていったのかもしれません。

 

しかし、今のところネットでの広告は一律な面があります。このブログにも広告が出ているはずですが、別に広告主は私のブログを見て評価してくれたから許可しているわけでもないはずです。しかし漫画村のように、社会問題となるような場所でも同じように広告が出ているとしたら、広告主である企業の倫理を世間が問う姿勢を打ち出す日も来るかもしれません。するとネットの炎上商法みたいなやり方を広告主がブロックしてしまう可能性もあります。となればYouTubeの中で過激なやり方をして人の注目を集めている人も、もっと洗練させた形でしか続けられなくなるかもしれません(なんでもいいねの良し悪しで価格も変わるそうですし)。そしてここでもTVと同じような配慮がネットの当たり前になる日がくるかもしれません。

 

ゴールドラッシュとしてのネット世界

今誰でもがネットによって個人のままで活躍出来るように思えているかもしれませんが、それはこの世界に余白がたくさん残されている限りにおいてなのかもしれません。いわばアメリカのゴールドラッシュのようなものです。西へ、西へと移動していき、海へとつきあたってしまった時点で終わりなのです。あとはその土地の中でパイを取り合う、いつもの生存競争が残されるだけかもしれません。ネットの自由や可能性は今だけかもしれません。

 

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しかしどんな世界でもいつかは飽和状態になるのだとすれば、最初っからそうしてしまってもいいのかもしれません。そのためにはキングコング梶原や江頭2:50のような、TV的芸道世界で鍛えられたプロが参入してくることは、その速度を上げるという点でネットやYouTubeの世界を発展させていく気もします。そしてその結果ネットやYouTubeはTVと同じように独自に洗練された優れたひとつの表現媒体と成長していくのかもしれませんね。

 

なんだか余談が長くなってしまいました。読んでくれる人いるかな…

 

次回のお話

https://www.waka-rukana.com/entry/2020/03/10/200027

 

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お話その180(No.0180)