日々是〆〆吟味

自分で考えていくための参考となるお話や本の紹介を目指しています。一番悩んだのは10歳過ぎだったので、可能な限りお子さんでもわかるように優しく書いていきたいですね。

科学者(専門家)の細分化された専門領域の苦悩と皮肉 〜19世紀までの認識としてたこつぼ化した科学者とは何かという問題

スポンサーリンク

スポンサーリンク

 

f:id:waka-rukana:20200807165823j:plain

前回のお話

https://www.waka-rukana.com/entry/2020/01/15/190041

 

科学者(専門家)の苦悩と皮肉 〜19世紀までの認識

大衆と専門家が違うようでいて思いのほか似たもの同士の存在であることがオルテガによって指摘されましたが、それには多分思想史的な背景があるように思います。

 

ミミズの頭と専門家

ニーチェといえば『ツァラトストラ』ですが、この中に有名な一節があります。それは主人公ツァラトストラが旅に出た時に出会う科学者で、その科学者はミミズの頭(だったっけ? 回虫だったかな??)の権威というのですが、このミミズの頭から少しでも離れたら自分は何も知らないことを嘆きながらツァラトストラに告げるのです。

 

ニーチェツァラトストラかく語りき』】 

 

科学者が言うには、たしかに自分はミミズの頭のことはなんでも知っている。ミミズの頭こそが私の宇宙であり、すべてである。しかしその宇宙から少しでもはなれれば、まるで迷い子のようになにもわからず困惑してしまう。たとえそれがミミズの胴体であっても同じであり、たった数センチはなれた距離の同じ生物であってもなにもわからない。ましてやミミズをはなれ、他のものへとうつってしまったらどうなるか。私はひとつの分野で並ぶことのない世界で最も優れた認識を持っている。しかしそれはミミズの頭だけである。そしてミミズの頭をはなれたならば、世界一の権威もなにも知らぬ幼子と同じにしかならない。これが私の一生を賭して得てきたものだ、というものです(だいたいこんな感じだったと思う)。

f:id:waka-rukana:20200809002743j:plain

 

生涯を賭けた結果と、他の可能性

ここには専門家の苦悩と皮肉が戯画的に描かれています。ある分野で高度な専門家になるためには、一生を賭さなければならない。生涯をかけてひとつの分野に身を捧げてようやく専門家になれる。しかしそうして得たものは、同時に他の世界からの切断でもある、とでもいったところでしょうか。

 

おそらく小林秀雄はこれと同じようなことを捉え、私は何者にでもなれたが、この私にしかなれなかった。これが宿命である、といった風に述べていたかと思います(忘れた)。何者かになることは、他の何者かになることを諦めることであるが、そうして成り立った今のこの私はかけがえのないものとして受け入れろ、とでもいえばいいでしょうか。ニーチェはその前段階を皮肉げに描いたわけですね。

 

https://www.waka-rukana.com/entry/2019/05/20/153016

 

小林秀雄初期文芸論集】 

 

と同時にヘーゲルもまた無限と有限で同じようなことを語りました。それは人間は未来においては不確定であり、可能性は無限である。しかしその中の選択肢をひとつ選ぶことにより、無限の可能性は有限な実人生へと変わってしまう。しかしこの有限な選択を繰り返すことによって人間はどこまでも成長することができ、また無限の存在へと戻ることが出来る。多分こんな感じの意味だったと思います(ヘーゲルは難しすぎて自信ない)。

 

ヘーゲル精神現象学』】 

科学者自身の自己認識

しかし専門家=科学者の他分野への無見識ぶりはなにもニーチェオルテガのような哲学者だけが非難しているわけでもないようです。エンゲルスは知り合いの科学者から、専門分野から離れたら科学者は何も知らないに等しい、といったことを教えてもらったと書いていたことがあります。まぁエンゲルスも科学者じゃなくて哲学者みたいなものかもしれませんが、一応ナマの科学者からの証言を伝えてはいるわけですね。

 

エンゲルス『反デューリング論』】 

(ただ、エンゲルスの証言はこの本だったか『自然弁証法』だったか忘れました)

 

f:id:waka-rukana:20200117014927j:image
ヘーゲルは少し先行する世代ですが、オルテガニーチェエンゲルスは同じ世紀の人間でもあります。ですから多分19世紀にはこうした科学というものの絶大な効果とともに、科学者自身によっても自らの限界を強く意識する土台があったのかもしれません。そしてそれゆえにオルテガは世界の発展を担うはずの科学者もまた、他のことはなにも知らず放っておいても平気と思う大衆と判断したのかもしれませんね。そしてまた、それだけのものを賭けて優れた専門家となった人々が、自らの領域を区切ることなくつい立派な態度をどこでもとってしまいかねない理由もわかってきそうな気もしてきます。

オルテガ『大衆の反逆』】 

次回のお話

https://www.waka-rukana.com/entry/2020/01/21/170001

 

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

PVアクセスランキング にほんブログ村

お話その166(No.0166)