戦争についてのイメージ化 〜国民は壮大な予告編に抗えなかった?
戦争までイメージ化されてしまい消費されてしまう、なんて困った状況です。ボードリヤールが指摘したのは湾岸戦争でしたが、9.11の時も同じようにイメージ化された、と、ボードリヤールを使って日本の消費社会を分析していた大塚英志が書いていたことがありました。
商品のイメージ化、及び物語化
以前物を作っても売れなくなってしまうと恐慌が起きて困るから、イメージを結びつけて物ではなくイメージを売るのだ、なんて書いたことがありますね。その時イメージを結びつける方法のひとつとして物語をあげました。
https://www.waka-rukana.com/entry/2019/10/30/120038
構造的な物語(プロップ)
物語というものは基本的に構造的なものとして文学理論では認められているようです。物語というのは各要素にわかれていて、その組み合わせによって成り立つ構造的なものである。こんな感じでしょうか。
https://www.waka-rukana.com/entry/2019/07/05/060056
https://www.waka-rukana.com/entry/2019/07/08/193040
キャラクターの役割(グレマス)
この時各要素にわかれるもののひとつとして、キャラクターの役割もあります。主人公とか敵対者とか、援助者とか呼ばれます。詳しい説明がなくてもなんとなくどのようなものかわかりそうですよね。
プロップという民話学者が最初昔話を分析して始めたのですが、そのあとを継いだグレマスという人はキャラクターの役割を6つにわけました。1送り手 2対象 3受け手 4援助者 5主体 6敵対者となります。詳しい説明はこちらに書いてありそうですね。
http://www.isc.senshu-u.ac.jp/~thb0309/Signe/Greimas01.pdf
これを組み立てた物語としては、誰か(送り手)が主人公(主体)にある目的(対象)を依頼し、主人公は誰か(援助者)の助けを得て障害や敵(敵対者)を乗り越えたり倒したりし、報酬(対象)を主人公(受け手)が受け取る、という形になるかと思います(違ったらごめんね)。
この役割を各キャラクターに振り分けたらひとつの物語が出来上がるわけです(出来上がるだけで、面白いかどうかはわかりませんよ。作家の腕というものがありますからね)。そしてキャラクターだけでなく、実在の誰かにこの役割を振り分けたら、現実でも物語化することが出来るのでした。それが広告の手法のひとつでしたね。
戦争の構造的な物語化(9.11の場合)
9.11の時はこうした手法により、戦争の手続きを物語化したといいます。すなわち自爆テロによって攻撃されたアメリカ(送り手)はブッシュ大統領(主体)にアメリカの平和(対象)を頼む。ブッシュ大統領はアメリカ国民(援助者)の協力を得て莫大な財産を持つ強力なアルカイダ(敵対者)との戦いを決め、困難に打ち勝ち勝利しアメリカ(送り手)へと平和を取り戻す。こうなります。
壮大な予告編
こうした物語化が自爆テロという事件を通して形成され、ブッシュ大統領自らも演出するようにして事態が進んでいった、というわけですね。それどころかアメリカにはハリウッドがありますから、こうした物語化はお手の物といえるかもしれません。もしかしたら映画の世界が現実化したと思われたかもしれませんね。特にボードリヤールが書いたように、戦争の姿は映像化されスペクタルとなります。飛行機がツインタワーにぶつかっていくなんて、いかにも戦争映画の始まりのようです。もし本当に同じような内容の映画があるとすれば、予告編であちこち流されたでしょう。その役割すらもニュースが行なってしまうわけですね(ただ映画評論家でもある蓮實重彦は自爆テロの映像を、映画じゃないですよ、人が出てないから、と言ったそうです)。
こうして本来なら法=論理によって決定されていくべき問題が、物語化された演出の中で世論によって決定づけられていってしまった、というのでした。物語化され強烈な予告編を見せられた視聴者たる国民は、続編を見る欲望に抗えなかった、というわけですね。おそらく最も重要な決定である戦争の遂行も、論理よりイメージ(物語)の方が上位になってしまっている、という危険性を告げるのでした。
気になったら読んで欲しい本
グレマス『構造意味論』
グレマスの本。無茶苦茶専門的です。私は読んでいません。ぺらぺらめくった程度です。記号論の本ですのでプロップをひいた物語論の面もありますが、言語について書いている面もあります。どちらかというと物語論については2、3章くらいじゃなかったかな。キャラクターの役割みたいなことはこれに書いてあります。昔から値段が高騰しています。
大塚英志『キャラクター小説の作り方』
今回書いたことは大体この本の中に書いてあります。
タイトルはハウトゥ本みたいで実際そうなのですが、硬派な批評家である著者は同時に物語の社会影響を批評的に抉り取ってしまい、結果ただのハウトゥ本ではなく文芸批評になっている少し変わった本です。しかし物語の創作者がそもそもの影響力を知らず書いてしまうのは確かに危険かもしれませんので、その点ではとても真っ当な創作論であるかもしれません。
ボードリヤール『湾岸戦争は起こらなかった』
おそらく元ネタはこの本でもあるでしょうから、比べて読んでみるといいかもしれません。
次回の内容
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お話その123(No.0123)