日々是〆〆吟味

自分で考えていくための参考となるお話や本の紹介を目指しています。一番悩んだのは10歳過ぎだったので、可能な限りお子さんでもわかるように優しく書いていきたいですね。

分業の意味とメリットとアダム・スミスの『国富論』。機械化/自動化による効率化と大量生産の誕生 〜エートスとは異なる資本主義成立の要因

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分業と機械 〜エートスとは異なる、資本主義もうひとつの始まり

エートスによって近代資本主義が立ち上げられたとするならば、一度成立した資本主義にはエートスは必要ないのでしょうか。私にはわかりません。私の記憶ではウェーバーはそんなこと書いてなかった気がします。というのもウェーバーの目的は近代資本主義の成立条件であって、成立後の資本主義の運動ではないからですね(なんて言いつつ、どこかで書いてあったらごめんなさい)。

 

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ただウェーバーだけが資本主義を分析したわけではありませんね。昔も今も大勢の人が分析したり研究したりしてると思います。ウェーバー先生は資本主義を個人の水準で説明したのかもしれませんが、なぜそうしたアプローチをしたかといえば当時他の説明があったからかと思います。あんまりよく知らないのですが、えぇい、書いちゃえ(というわけで、今回からのお話はいつも以上に真偽が定かではありません)。

 

アダム・スミスと分業

経済学の出発はアダム・スミスから始まります。そしてアダム・スミスといえば『国富論』 手にとってみますと話し始めに分業について説明しています。

 

スミス先生いわく、分業は偉大である、1人の熟練した職人が1日で100本の針を作ることが出来たとする、しかしそれをそれぞれの工程にわけて分業したとする、つまり針金を切る、先を研磨する、針の頭の部分を作る、こうした作業を分担することによって1人の職人が作れる以上の数を作ることが出来る、それが500本だとすれば5倍の生産量になる、よって分業によってこそ産業は活性化する。

 

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多分こんな感じじゃなかったかな。私の記憶では心配なので下に本載せておきますから、気になったらどこかで読んでみてください。

 

分業と大量生産

こんなの今聞くと当たり前に思えてきますね。TVなんかでも工場でベルトコンベアーから流れてくるものをそれぞれに作業してるのを見ますものね。しかしこうした分業がなされる前はそうではありませんでした。同じようにTVで見るような、椅子職人とか伝統工芸などのように、1つの物を1人で最初から最後まで作っていたようです。文字通りの職人ですね。

 

私たちはこうした職人がほとんどいなくなってしまった世の中に暮らしているので、職人の作ったものは上等であるように思ってしまいます。多分その通り上等だと思いますが、代わりに高いですよね。なんで高くなるのかといえばそう簡単に作れないからで、量産出来ないからです。となると、身の回りの物すべてを職人が作るしかない社会では大量の商品が出回るということは起こりえませんね。というわけで産業上位の社会になるためには商品が大量に必要で、そのためには分業が必要不可欠だったようです。

 

分業と機械と資本家階級

そしてこの分業に加えて機械の発明が結びつき、生産量が爆発的に増えたようです。そうなりますと商品は溢れるほどに作られるようになり、産業社会はあっという間に広がっていきます。となると富は工場を経営している人たちに集まるようになり資本家階級が成立し、農業に不可欠な土地を抑えていた封建領主と対立し革命まで起きてしまいます。結果資本家階級は経済だけでなく政治でも覇権を握り、社会の中心に位置され他の方法では対抗すら出来なくなってしまいました。それどころか同じ方法でしか満足に社会活動出来なくなってしまい、こうして資本主義が定着していったのでした。

 

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と、スミス先生が説明されていたかはわかりません。書いてあったらそれでいいのですが、ちょっと自信がないものですから多分、とだけにしておきたいと思います。

 

つまりここでは分業と機械によって資本主義は生まれたと受け取れないこともありませんね。それは一種の方法と技術によって成立したわけで個人がないがしろにされてしまうわけです。ウェーバー先生はここに個人の焦点を当てようとしたのかもしれませんが、それは私には判断出来ませんのでそれぞれ読まれて色々思われるのがいいかと思います。

 

気になったら読んで欲しい本

【アダム・スミス『国富論』】 

アダム・スミスの分業の話は冒頭に出てきたと思いますので、興味があればちょっと開いて見てみてください。ちょっとしたことでも元の本に触れるというのはいいことでしょうからね。

ただこの岩波文庫版。翻訳が悪いとよく目にします。私はこれで読んだのですが、他の翻訳を読んだことないので比べることは出来ません。一番手に取りやすい(大体増刷されていて本屋に置いてる)のですが、読みやすいかは別問題なのかもしれません。とはいえ水田洋はアダム・スミスをよく訳しており長年の研究実績もあります。訳業はまた別の問題なんでしょうか。確かに私には読みにくかった気はします。 

で、スミスの既訳の悪さを指摘して新しく訳された『国富論』がこちらです。訳者の山岡洋一がどのような考えで新訳を志したかはこちらに書いています。

翻訳通信

これによりますと、岩波文庫版は英文原典のアンチョコとしては優れてる、ということになるそうです。でも専門家じゃない私たちは日本語に訳された『国富論』読むだけでも大変です。ですから日本語版だけでもとりあえずなんとかなって、自分で一応の理解を得て考えていけるようにして欲しいな、とは思いますね。

その点では山岡訳は画期的な新訳と評されましたからきっと読みやすいんじゃないかな、と思うのですが、なにせ高いので手に取りにくいですね。というわけで 

中公文庫あたりが手頃なのかもしれません。とはいえ私は岩波文庫版以外読んでないんですけど。

中公版は別に文庫でなくても世界の名著や中公クラシックスでもどれでもいいかと思います。もしかしたら多少は違うかもしれませんが、元の翻訳は同じはずなので適当に安いものを選べばいいと思います。世界の名著のアダム・スミスなら一冊で済みますし…と思って調べてみたら、世界の名著は抄訳らしいですね。でも一応載せておきましょうか。 

文庫とクラシックスは完訳らしいですね。世界の名著は抄訳も多く、のちに完訳されて中公文庫に入ってたりしますから結構注意が必要です。なにせ半世紀も前の全集ですからね。

 

見たら講談社学術文庫からも出たようです。

 

【ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』】 

 


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お話その107(No.0107)