デカルト『方法序説』と考える方法 〜デカルト曰く、これですべて考えつくせる、とのことです
デカルトは正しいことをどのように考えたのでしょうか。とりあえずヒントは『方法序説』というタイトルにもあります。方法序説って、一体なんの方法なのでしょうか。それは考える方法なのでした。
考えるための4つの順序
デカルトはあらゆるものを疑えると言い、確かなものは疑っている私しかない、とまで考えました。ではその時どうやって考えたのでしょうか。それはー
1.とにかく証明されていて自分で正しいと思われぬものはすべて正しいと認めませんでした。
2.そして考えるべき問題を分けれる限りに分けてしまうことにしました。こうすれば複雑な問題も単純なものにまで解体できるからです。
3.そうしてわけたものを単純なものから複雑なものまで、順番に考えていくことにしました。こうすることによってわかりやすいものから難しいものへと徐々に考えていくことが出来ますね。
4.最後に、考えなければならない問題を一から十まですべて検討し尽くし、並べきってしまいます。そうすることによって考え忘れをなくすわけですね。
このような方法をとってデカルト先生はあらゆるものを疑っていったのでした(あ、でもこれは私の翻案みたいなものですからね。デカルトが実際どう書いたかは『方法序説』をご覧ください)。
デカルト曰く、あらゆる問題をこの方法で考え尽くせる
と同時に、デカルト先生はこの方法によって自分が考えなければならない問題はすべて考えつくせた、と豪語します。なんてこった! こんな単純と思える方法で、歴史的転換点となる哲学者がすべて考えつくせるとは‼︎ こりゃ便利ですね。ですからみなさんもぜひこの方法をお使いください。多分、Amazonに並ぶ、頭のよくなる方法、みたいな本よりも信頼がおけるのではないでしょうか。少なくとも確かな実績がありますものね。これ一冊あればデカルトの考えた範囲なら、私たちでも考えられるというんですから。おや、宣伝文句まで似てきてしまいました。
証明された正しいものとしての数学
それはともかく、ではデカルトのはどのようなものが証明された正しいものだと考えたのでしょうか。それが数学だったようです。
数学というのは誰がやっても筋道通りにやれば同じ答えが出る、とソクラテスの時代から思われていたようです。確かに1+1=2ですし2×2=4ですからね。これはひとつの計算方法によって必ず同じ答えが出るものです。AさんとBさんで答えが違う、というわけにはなりません。阪神ファンと巨人ファンではひとつのアウトに真逆の答えを出しますが、数学ではそんなことはないですからね。
そのため数学こそ本当に正しいものへの最も近道に思われたのでした。そしてこの考え方こそが、私たちの生きている世界を形作っています。それが近代という時代です。
気になったら読んで欲しい本
【デカルト『方法序説』】
今回は『方法序説』のお話だけでしたので『方法序説』の訳本を並べてみました。こうして見てみますと中々壮観ですね。
ちなみになぜ『方法序説』なのかというと、考える方法というだけでなく、実はこの本はもっと大部の本の序文みたいなものだったからです。本来は『屈折光学』『気象学』『幾何学』という3つの論文があって、その序文として書かれたものが『方法序説』だったようです。それが後々あまりに重要だということで独立して一冊の本になったみたいですね。だから訳書の実物を見てもらえばわかりますが、とても薄い本です。その薄さ(=短さ)も哲学書として異例の読みやすさを与えている理由かと思います。
上にも書きましたが、もし書店でよくあるハウトゥ本で、頭のよくなる本、とか、地頭を鍛える、とかいう本に手を伸ばしたくなりましたら、この本を手に取られて基本的な考えを実践されてみる方がいいと思います。そうした本を書いている方々はそれぞれに賢いのかもしれませんが、いくらなんでもデカルトほど賢いとは言い切れないでしょうからね。歴史的偉業を成した人から考え方を学ぶのもきっと益するところが多いかと思います。訳も多いですし、適当に気に入ったものを選べばいいですしね。それに『方法序説』一冊買って読んだ方が安くつきます。
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お話その95(No.0095)