日々是〆〆吟味

自分で考えていくための参考となるお話や本の紹介を目指しています。一番悩んだのは10歳過ぎだったので、可能な限りお子さんでもわかるように優しく書いていきたいですね。

フランシス・ベーコンの4つのイドラと世の中 〜疑うべきものとしての社会認識と与えられる社会的価値と懐疑し認識する者としての自我

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疑うべきものとしての社会認識 〜フランシス・ベーコンの4つのイドラ

デカルトはあらゆるものを疑いましたが、その中には当然自分たちが常識と思っているものも含まれていました。デカルトと共に近代(もしくは近世)哲学の祖と言われるフランシス・ベーコンという人がいますが、この人は物事を正しく認識するためには避けなければいけない臆見(偏見みたいなもの)があるとして、それを4つにわけています。それが種族のイドラ、洞窟のイドラ、市場のイドラ、劇場のイドラです(イドラとは臆見のことです。ベーコンはそう呼んだんですね)。言い換えてみますと種族は人間の持つ認識の限界、洞窟は個人史からくる狭い了見、市場は噂話の類から生じるデマなど、劇場は権威などに対し盲目的に信じてしまうこと、などになるでしょうか。

 

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なんだか今でもまったくそのままに当てはまる気がしますから、果たして人間は成長したのか不思議にもなってきますが、特に市場や劇場のイドラは既成の価値観や周りにあふれた言説を盲目的に信じてしまうことを指しているようにも思えてきますね。

 

デュルケームの認識の社会起源と疑うべきもの

そこで思い出して欲しいのですが、デュルケームは人間の認識は社会から与えられる、と考えました。

 

https://www.waka-rukana.com/entry/2019/09/02/193043

 

https://www.waka-rukana.com/entry/2019/09/03/193022

 

しかしそれは、ベーコンが述べた市場や劇場のイドラとなるものの源泉ではないでしょうか。別に社会から与えられる価値観がすべて間違っているわけではありませんが、なにか検証されたものだという証明込みで私たちが受け取っているわけではありません。医者が言ってるから大丈夫だろう、と考えるのは劇場のイドラですし、権威は信用できん、と経験則から語る人の言うことを信じるのも洞窟のイドラになってしまいます。ネットの噂話を信じるな、なんで、まるっきり市場のイドラそのものですものね。

 

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そしてデカルトは、おそらくこうしたものもすべてひっくるめて疑ったはずです。デカルトは神学をひっくり返してしまいましたが、それは既成の価値観に従わなかったことを意味します。それは当然その時代の一般的な価値観であり世の中に行き渡っていた考えだと思われますから、社会的事実と化しておりデュルケームの言う集合表象としてあったはずです。

 

認識の根拠としての社会と、信用にたらぬ臆見としての社会認識

つまり、デュルケームが人間の認識の根拠となるものは社会だ、と考えたのに対し、既にデカルト(もしくはベーコン)の時点でそれは信用に足らぬ臆見だ、と批判されているようにも思えるのです。むしろそうした社会的認識を臆見として斥けたところに近代的な認識の出発点があったのではないでしょうか。となると19世紀の考え方を17世紀には乗り越えられていることになります。そうなってきますと、デュルケームやデュルケーム的な社会学は一体どうなるのでしょうか。なんだかこうして考えていきますと不思議に思えてきますね。

 

気になったら読んで欲しい本

【デカルト『方法序説』】 

とりあえずデカルトの本。続けてこればかりで申し訳ありません。前回に各翻訳を並べていますので、興味のある方は見てくださると嬉しいです。

 

【ベーコン『ノヴム・オルガヌム』】 

余談ですが、ベーコンという人は美味しそうな名前をしているだけではなく、思想史上の有名人に何人かいます。こちらのベーコンさんはフランシス・ベーコンと言いますが、中世にはロジャー・ベーコンという人がいました。フランシスさんが近代哲学の祖であれば、ロジャーさんは近代科学の祖と言われています。また現代ではよりにもよってフランシス・ベーコンという難しい絵を描く現代美術の大家がいらっしゃいます。これが錚々たる思想家たちに論じられていてよく出てきます。そんなわけで哲学も思想も知らないで見ると、誰が誰やらわかりません。結構こういうところで躓きました。

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【デュルケーム『宗教生活の原初形態』】 

で、デュルケームの本。今回は他の本もみな岩波文庫なので、岩波文庫にしてみました。

デュルケームの集合表象は宗教を対象として概念化されましたので、もともと宗教的な現象なのかもしれません。しかしベーコンのイドラは間違いなく社会的な偏見も含まれています。となるとやはり社会の認識の中には宗教的とみなされる要素があるのではないか、と思わないでもありません。そんなこと考えて読んでみるのもいいかもしれませんね。

 

次の日の内容

https://www.waka-rukana.com/entry/2019/09/10/193004

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https://www.waka-rukana.com/entry/2019/09/06/193031

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 お話その93(No.0093)