日々是〆〆吟味

自分で考えていくための参考となるお話や本の紹介を目指しています。一番悩んだのは10歳過ぎだったので、可能な限りお子さんでもわかるように優しく書いていきたいですね。

我思う故に我ありの意味と、自我の哲学の発見と個別化される人間 〜様々な価値観を懐疑し最後に残された疑う者としての我【デカルト『方法序説』】

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自我の発見と個別化される人間 〜デカルトの疑問と共に

デカルト以前は人間の認識能力も神から与えられていました。何故なら神はすべての創造主なので、人間の諸能力も神によって作られているからです(多分)。それをデカルトは人間の中に変更しました。その根拠が我、すなわち自我というわけですね。

 

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ですが何故このようなことをデカルトは考えたのでしょうか。または考えなくてはいけなかったのでしょうか。

 

あらゆる価値観を疑ったデカルト

それはデカルトがあらゆる価値観を疑ったからです。デカルトは当時最高の大学に学び、しかも大秀才だったデカルトは当時教わることの出来たすべての学問を修めました。けれどもデカルトは満足出来ませんでした。学んだどの学問も真理を教えられたり、物事の最終的な根拠を与えられないような気がしたというのです。

 

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いわばあらゆるものが信じられなかったわけですね。そして学問は駄目だ、と考えたデカルトは世界中(といっても当時のことですからヨーロッパ全土くらいのことだと思います)を旅してまわりました。しかしやはり信用できそうなものはありません。あちらで正しいとされていたものがこちらでは間違い、どれだけヘンテコに見えてもそれを普通と思う地域もある。このような中でデカルトは、本当に正しいことの根拠は未だわかっていないのではないか、と疑問を持ち出します。そしてそれを見つけ出すことが出来れば自分だけでなく多くの人にも意義があるだろう、と考え、その探求のために自室に閉じこもります。その間7年。そこでデカルトはあらゆる価値観、あらゆる考えを本当に疑いなく正しいかどうか、徹底的に問うていきました。その結果、デカルトは疑わずに済ませられるものはない、と結論づけます。ありとあらゆるものは疑える、信用ならない。しかしデカルトはここでニヒリズムに陥ることなく、逆転して1つの真理を掴み出します。それは、確かにあらゆるものは疑えるが、こうして疑っている私自身は疑うことが出来ない。あらゆるものは疑えるが、疑っている私(我=自我)は間違いなく存在している、すなわち物事が正しいか間違っているかはわからないが、その選定者たる私は確固たるものとしてある、というわけですね(間違ってたらごめんなさい)。こうして「我、思うゆえに、我あり」と有名な言葉が生まれたのでした。

 

物事を認識するのはこの私(=自我)において他にない

普通ここで、自我というものが絶対的な根拠として認められる、と言われるのですが、今回はそれと違う点に注目してみたいと思います。それは、確かかどうかわからないものは目の前(世界中)に無数にありますが、その正否も含めて直接に認識出来ているのは私以外にいない、ということです。

 

たとえば目の前にりんごがあったとして、それを見ているのが私とあなた、2人いるとすれば、実は同じりんごを見ているようで私とあなたでは全然違うように見ている、ということでもあります。もうちょっと特徴を増やして比べてみますと、私は絵を描きませんのでりんごを見ても食べたいとしか思わないかもしれません。しかしあなたは画家で、りんごを見てその色使いを自作に反映させたいと思うかもしれません。こうしてみますと事実として同じ物が認識としては一致しないことがわかりますね。つまり、世界というものを認識することが出来るのは、すべての人にとって私自身を通してしか出来ないというわけです。

 

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私がいかにりんごを見て画家のように受け止めたくとも、そんなことは出来ません。可能になりたければ私が画家の腕を身につけなければなりません。しかし画家になったからといってゴッホやマティスのような色使いを得られるわけではありません。それはゴッホやマティスの認識だからです。私というものは、どれだけ望んでも私以外からはなにも捉えることは出来ないのです。

 

個々として決定的に違う存在としての自我

これは個性とかそういう話だけではありません。中世であれば神の被造物としてみな同じ程度であったものが、個々人で決定的に違う存在として認められるようになった、ということです。これが中世からの大きな転換点ではないかと思うのですが、なんだか話がずれてしまいました。こ、困りましたね…どうしよう。ちょっと仕切り直してまた明日にしたいと思います。

 

気になったら読んで欲しい本

 

【デカルト『方法序説』】 

『方法序説』の翻訳を集めてみました。お好きなのを選んで読まれたらいいかと思います。どれがいいかはわかりません。そんなことしたことありませんし、そんな真似出来る能力もありませんからね。

上に書いたようなデカルトの経歴はすべてこの本に書かれています。こうしたことは普通哲学書では書かれません。大体理論に終始します。ですから『方法序説』は哲学書であると同時に自伝でもあるわけです。そしてそのため読みやすい(というか、読めるところが出てくる)のでした。

本当なら『方法序説』をこうして並べて、今回でデカルトの話終えるつもりだったんですけどね。気が向かれましたらまたご覧になってください。

 

次の日の内容

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 お話その92(No.0092)