日々是〆〆吟味

自分で考えていくための参考となるお話や本の紹介を目指しています。一番悩んだのは10歳過ぎだったので、可能な限りお子さんでもわかるように優しく書いていきたいですね。

我々の生きる現代社会と属する世界の価値観とは ~宗教は社会学され価値観を基礎づける原因を発見しようとする

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自分たちの属する世界と価値観 〜宗教は社会学される

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宗教以外に価値観を基礎づけるもの

民族宗教が自分たちの価値観を作り出し自らのものとしていくためにある、と考えてみますと、これは何も宗教だけに限らない気もしますね。前回ギャルとオタクとヤンキーとインテリを並べてみましたが、おそらくそれぞれに自らの矜持はあり譲れないところはあるはずです。それはもちろん具体的なひとりひとりの人間で違ってくるでしょうが、ギャル、とか、オタク、とかのカテゴリーで一応のまとまりのようなものはあるのではないでしょうか。オタクはきっとケンカで勝つことは自分たちの価値観にはないでしょうが、ヤンキーにはあるかもしれません。ですが知識自慢は多分ヤンキーの価値観として誇るものではないかもしれませんが、オタクやインテリでは大切なものかもしれません。しかしオタクとインテリではその誇るべき知識は一致せず対立してしまう可能性もあります。こうしたものはやはり個々の人間だけではなく、属しているカテゴリーの中で共有しているものかもしれませんね。もしかしたら逆にこうした価値観を共有する者が、そうしたカテゴリーの中に属するのかもしれません。

 

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こう考えてみますと、民族宗教の働きの一つである自分たちの価値観を作り出したり共有したりすることは、どうも宗教としてだけあるわけじゃなさそうだ、とも考えられてきそうです。そしてどうも、社会学の出発点でもそのように考えていたのではないかな、と思わないでもないのでした。

 

社会学と宗教

社会学の建設者というのは、普通エミール・デュルケーム、マックス・ウェーバー、ゲオルク・ジンメルの3人とされています。そしてデュルケームとウェーバーは社会学の中で宗教も取り扱いました。それもかなり中心的に扱い、宗教社会学や社会人類学の祖ともなりました。この時の彼らの考え方が、宗教というとのをなんとなくよくわからん神秘的なものから、身近にあるごく普通の出来事の延長線(もしくは原点)にあるような説明のような気がして、ひとつの理解の仕方を教えられたような気もします。

 

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その説明は私には荷が重いですので、その都度本を載せるつもりですから詳しい説明はそちらに向かってもらうとして、おいおい進めていくことにしましょうね。とりあえず今日は評判のいい解説書を載せておくことにして、この辺で終わっておくことにします。

 

 

気になったら読んで欲しい本

【新睦人『社会学のあゆみ』】 

これが社会学の解説書としていいように書いているのを何度か目にしたことがあります。私は持っているのですがまだ読んでいません。2巻もあるのですが(こっちは持ってない)、それはかなり先の人たちまで説明しているみたいなのでここでは載せておかないことにします。まず最初の社会学者の考えを知らないと、最近の人のことはわからないですからね。

ただ、極端なことを言えば社会学ってウェーバーとデュルケームなんじゃないか、という意見をとあるブログで読んだことがあるのですが、どうなんでしょう。基本的な枠組みはこの2人(もしくはあとジンメル)が用意していて、その上に後々それぞれの学説が建設されていったような気は確かにします。哲学でいうプラトンとアリストテレスのような関係かな、と思わないでもないのですが、私は社会学の全体像など知らないので実際のところはわかりません。ちなみにウェーバーよりデュルケームの方が読みやすいと思います。ドイツ人って、なんであんなに難しいんでしょうね。ドイツ観念論の文体がドイツの知識人には染みついてしまっているんでしょうか。

 

 

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 お話その87(No.0087)