偉い事と学びと拒絶 〜次の時代の日本の態度は…?
偉いことと他を拒絶すること
日本を偉いと思って何故悪い、と思われるかもしれません。別に偉いのはそれでいいのです。しかし偉いと思うことによって、他の利点を学ぶことを忘れてしまってはいけない、ということなのです。
中国が近代化に遅れヨーロッパに敗れてしまったのは、まさに中国が偉いからでした。
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そして、事実中国は偉いのです。北京五輪で非難の的になりましたが、オープニングセレモニーで文明の発祥はすべて中国みたいに演出しても、そういって押し切れないこともないくらいに歴史も長く文化も偉大なのでした。中国にはすべてある、いくらヨーロッパが素晴らしくとも必要ない。これが結局自分たちとは異なるものを学ぶ態度を失ってしまい、同時代において必要不可欠なものを拒絶してしまったのです。そしてヨーロッパ発祥の近代化を学ばなかったがためにこの100年間の敗北を喫してしまいました。中国の歴史からすれば100年はほんの一時かもしれませんが、近代に入って3、400年くらいですので、近代国家としては大きな比率を占める気もします。
しかし、だからこそ中国は近代の次の時代の帝王になろうと虎視眈々と狙っているのかもしれません。そして時代も近代から次の時代、ポストモダンと呼ばれた時代へともう入っているともいえます。
過ぎ去っていく偉大さ
その時、日本はどうなるでしょうか。確かに日本は近代化の中では世界に冠たる足跡を残したかもしれません。非ヨーロッパ圏において自力で近代化を成し遂げた唯一の国ですし、戦後に世界経済で一等賞もとりました。しかし、それは近代という時代でのことです。福沢諭吉の時にも書きましたが、日本で近代が始まった頃は強烈な学習意欲があり猛烈に他国のことを学びました。それは日本が後進国であるという自覚、先進国に追いつかなければ植民地にされるという危機感、封建制度から解放されることによって得た自由、それに従って得られた立身出世、様々な要因が絡み合っていますが、とにかく自分たちにないものを取り入れ学んでいこうとした態度が明確で強くあったことと思います。
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学ぶことに強みのある日本
そしてその時行われたような、自分たちよりも優れていると認めたものから学ぶ態度こそ日本の持つ強みであるように思われました。三島由紀夫も加藤周一も、日本には大国に並ぶ偉大なものはない、という認識を共有していたかと思います。しかしそれ故に日本は他から学ぶことにかけては世界一なのだ、とも考えることだって出来るかもしれません。日本が偉いとしたら、きちんと他から学ぶことなのではないでしょうか。それを近代の成功を持って他国より優越していると踏ん反り返ってしまっては、本来持っている偉さを放り投げてしまうことになりかねません。
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偉いことによって失敗しないために
日本が偉いのはそれでいいのですが、偉いと思うことによってかつての中国と同じ轍を踏む必要はありません。むしろ日本が成功した足跡を踏み直す方がいいのではないでしょうか。折角大国である中国が大きな失敗の姿を見せてくれたのです。日本らしく、大国から学ばせてもらいましょう。自分たちが偉いということで、学ぶ態度まで拒絶してはいけません。学ぶ態度こそ偉い理由だと、そう誇ればいいのではないでしょうか。
なんだか昨日今日と偉そうなことを書いてしまいました。ご不快に思われた方は申し訳ありません。これに懲りずご訪問いただければ幸いです。
再び僭越で申し訳ありませんでした。
【アドラー,チャールズ『本を読む本』】
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お話その73(No.0073)