日々是〆〆吟味

自分で考えていくための参考となるお話や本の紹介を目指しています。一番悩んだのは10歳過ぎだったので、可能な限りお子さんでもわかるように優しく書いていきたいですね。

余所者との接触から現れてくる意思決定/行動選択のための政治 ~新しい局面に対する同意と決定と反発と政治

 

余所者との接触から現れてくるもの 〜決定と反発、そして政治

しかし余所者と出会うということは二重に考えられるかもしれません。一つは個々の人間が余所者と出会う場合。もう一つは自分たちの文化圏自体が余所者の文化圏と出会う場合。一つ目は柄谷行人が述べた他者で、二つ目はサミュエル・ハンチントン文明の衝突みたいなものでしょうか(読んでないので噂しか知りません)。

 

https://www.waka-rukana.com/entry/2019/06/04/153050

 

f:id:waka-rukana:20200807234607j:plain

 

余所者との接触による内部と結束

こうした自分たちと違う存在と出会うことが二重になっているとしたら、その中にいざこざが混じり込んできそうな気もしますね。余所者と接触することで自分たちの内部を結束させなければならないとしても、それを嫌がる人がいれば強制になってしまいます。ましてや余所者と思っているものの方がいいとなれば裏切者扱いされるかもしれません。しかし鹿を追いかけるよりもジャガイモを作った方が自分たちの仲間がより飢えずにすむかもしれません。余所者=新しいものが悪いともいえません。しかし当然、その結果奴隷にされてしまうような支配もあるでしょうから一概には言えませんね。

 

f:id:waka-rukana:20200807234624j:plain

 

まぁ、これは個々の状況と背景によって変わってくるでしょうから、すべてその時々に決定しなければならないことでしょう。いわば人生の選択を間断なく常に迫られるようなものかもしれません。多分組織のリーダーはこうした重圧に晒されているのだろうな、と想像することぐらいは出来ます。

 

しかし、その状況や背景というものは必ずしも満足いくまで分析や理解が出来ているとも限らないので困ったことになります。それも個々の人々においてその程度も差があります。となると決定権のある人がどうするか決めて、それ以外のメンバーはそれに従うしかありません。

 

決定と同意

となると、決定権を持つ人が抜群の慧眼の持ち主であればいいのですが、そうでない場合従わなければならない人たちから反対の声があがるかもしれません。決定する人より従う人の方が理解がある場合ですね。また逆に決定する人が最も優れていたとしても、従う方が、あっちがいい、と言うこと聞いてくれない場合もあります。これは本来従うべき人たちが無理解で自分たちの都合を優先させた場合になるでしょうか。

 

f:id:waka-rukana:20200807153530j:plain

 

これで揉めなければいいんですけれど、人が増えれば増えるほど揉めそうです。強力なリーダーがいればいいのかといえばそれもわかりません。安倍総理を批判する人もいますが好きな人もいます。けど同じように金正恩を好きだったり嫌いだったりではすませられません。ですがきっと北朝鮮では本気で好きな人もいるでしょう。しかし周辺国である身からすればミサイル飛んでくると怖いのでそんなこと言ってられません。やめて欲しいですが金正恩に同意してもらうしかなく、周りにいる人に働きかけても粛清されてしまえばどうしようもありません。強力すぎるリーダー(独裁?)の弊害として、他の人たちをないがしろにしすぎてしまいます。

 

政治の登場

まぁ、北朝鮮の話は強力なリーダーですむ話ではないでしょうし、また北朝鮮からすればこちら側が余所者になりますから、そうした余所者(米韓日?)に対する結束としてあんな強硬な態度をとっているのかもしれません。なんか物騒な例えになってしまいましたが、つまりはこんな物騒なものである政治がここで現れてしまうようにも思える、と、書いてみたかったのでした。

 

そしてそうした政治状況で決定権を持つ人=権力者が存在することは動かせませんが、しかしその権力者が横暴な人間にならないように、またそうであれば否定できるように決定権を持たない人たちは対処しなければなりません。

 

それが思想としてそれぞれの文化圏、または文明圏で作り上げられていったものにもなっていくのかもしれませんね。きっと宗教が認める倫理観は権力者を認めるものだけではなく、人間を認めるものとして現れてきたのではないでしょうか。

 

気になったら読んで欲しい本

柄谷行人『探究Ⅰ,Ⅱ』】 

自分以外の人間を余所者として捉えたとすれば、他者を同じ規則を持たない者、と考えた柄谷行人のこの本から学べることが多いような気がします。こうした他者は原理的に考えられているので、他の個々の状況に当てはめて考え直すのにも役に立つのではないでしょうか。

ハンチントン文明の衝突』】 

それが文明圏同士であれば、この本のように文明の衝突となるのかもしれませんが、私は読んでいませんので判断は出来ません。ただ、イスラーム諸国との衝突が不可避と分析し、事実歴史がその通りになってしまったので無視は出来ないのかもしれません。でもバブルの時アメリカと日本との戦争は避けられない、って、アメリカの一流の学者たちが叫んでいたらしいですから、もしかしたら何かあるとすぐ言うのかもしれませんけど。

 

 

で、柄谷行人の本の2巻。こちらは他者ではなく世界宗教と呼ばれるものを考えています。簡単に言えば世界宗教以外の宗教は共同体の宗教で、自分たちのみのためにあるけれど、世界宗教(キリスト教イスラーム、仏教)は“自分たち”という共同体を越えた普遍的な“人間”というものを基礎にして説かれた教えだ、ということになるかと思います。

この2冊はとても重要なことを考えていると思いますし、かつ世評も高いので、どこでもいいから目を通してもらえれば嬉しいなぁ、と思ってしまいます。でも知らない名前ばんばん出てきて、最初、面食らうんですよね…日本を代表する思想家の代表作の一つでもありますから仕方ないのかもしれませんけど…すごくいいんですけど、ちょっと諸手を挙げて勧めにくい…単に私が最初読んだ時に苦労しただけの話かもしれませんけどね。

 

次の日の内容

https://www.waka-rukana.com/entry/2019/08/23/193052

前の日の内容

影響すると共に自覚することへとつながる余所者=外部との接触 ~自らの文化の自覚と思想の鍛錬へのきっかけ - 日々是〆〆吟味

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

PVアクセスランキング にほんブログ村

 お話その81(No.0081)

影響すると共に自覚することへとつながる余所者=外部との接触 ~自らの文化の自覚と思想の鍛錬へのきっかけ

 

余所者=外部と接触するということ 〜文化はこうして鍛えられる?

なんだか久しぶりだったためにあやふやな内容になってしまったような気もしますが、読み返してみると案外そのまま話を続けられそうな気もしましたので続けてみたいと思います(無理矢理)。

 

文明に覆われて逃げ場のないユーラシア大陸

ユーラシア大陸にしか歴史(世界史?)が存在しないように見えてしまいましたが、その理由を考えてみましょうね。ユーラシア大陸には既にいくつかの大きな文明圏が成立していて、かつそうした文明圏が広範囲で共有されていたとします。一方未開部族として残った人々は自分たちの領域でそうした文明から背を向けて去って行った者たちだ、と仮定してみましょう。するとユーラシア大陸では各文明圏が広がりすぎてそんな逃げ場のない人々の暮らす場だ、という風にも考えられます。未開部族は巨大な文明圏や世界宗教(キリスト教イスラーム、仏教)の影響のない地域の人々であり、それゆえに逃げる場もあれば隠れる土地も残されていた、とも考えられるかもしれません。あまり広範囲な文化や文明圏があれば逃げた先でもまた同じものとぶち当たる可能性は高く、となると結局世代が変われば新しいものへと組み込まれていくかもしれませんからね。これがユーラシア的な状況だったのかもしれませんね。

 

f:id:waka-rukana:20200807165504j:plain

 

自分たちの思想と余所者の影響

そしてこうした逃げ場がないということは、常に対外的、対内的な権力関係に晒されていると捉えることも可能かもしれません。つまり、新しい文明を否定するには相手に呑み込まれないようにしなければなりませんし、そのためには自分たちはしっかりと結束していなければなりません。新しい文明を代表する者が、これいいよ、とやってくるのに対して、いや、我々はいらん、と言うためには、余所者との交渉と身内での擦り合わせが必要になってきます。これが各々政治的・思想的行為になってくるわけですね。

 

f:id:waka-rukana:20200806172750p:plain

 

しかもこの対外・対内的関係は国の代表としてやってくるわけでもありません。ペリーが黒船に乗ってきて開国を迫るのはわかりやすい交渉ですが、鹿を追いかけている中鍬を持ってきて、野菜を育てる方が楽チンだ、というのも同じように文明に影響を受けることになります。この場合利便性として迫ってくるので武力でもって迫るより否定するのが困難かと思います。

 

アメリカ思想としてのケンタッキー、マクドナルド

ちなみに加藤周一はケンタッキーは思想である、と述べたそうです。ケンタッキーはただの唐揚げ屋(になるのかな?)ではなく、簡単、便利、早い、安いといったアメリカの価値観を体現しているもので、それがフランチャイズの店舗として世界中を席捲しているということは、一つの店が流行っているのではなく世界中がアメリカの価値観を受け入れていることを指す、というわけです。だから同じようなマクドナルドがソ連に出来たことは大きな事件だったわけですね。

 

f:id:waka-rukana:20200807234530j:plain

 

こうした見えない権力関係や浸透は最早抵抗出来ません。ですからアメリカは映画産業が盛んなのだそうです。つまり映画を世界中にばら撒くことにより、アメリカ的価値観を与え続けるのです。これがたまたま当たったのが日本のアニメや漫画と言えるかもしれませんね。ですがこうした前提と自覚がなければ他の国に抜かれることはそんなに遅くないかもしれません。多分中国は自覚的で、だからこそ映画に力を入れているのだと思います。なんでも中国の大学の映画学部では『ラストエンペラー』のセットをハリウッドからそのまま買ってきて、学生に使わせて授業で映画を撮らせているのだそうです。規模が違いますね。

 

f:id:waka-rukana:20200807234548p:plain

 

自らの自覚と外部

ともかく、こうした自分たちと違う外部のものに対して拒絶していくことは中々難しいかと思います。また同時に自分たちと違うものを受け入れていくことも難しいのだと思います。そのためには自分たちの持っているものをしっかりと自覚する必要があると思うのですが、しかしそのためには自分たちの外部というものがあるから可能なのかもしれませんね。その点でもユーラシア大陸は逃げ場のない舞台であったとすれば、余所者=外部にすぐ当たるために自らを洗練させていくのにも役立ったのかもしれません。つまり外部と接触することによって独自の文化・文明圏を作り鍛え上げていく、ということになるのでしょうか。梅棹忠夫が第二地域と呼んだ大陸は、争い荒廃したかもしれませんが、それが同時に偉大なものを生んだのかもしれませんね。どっちがいいんでしょうね。

 

梅棹忠夫『文明の生態史観』】 

 

 

次の日の内容

https://www.waka-rukana.com/entry/2019/08/22/193009

前の日の内容

人々の交通と移動による文明の接触と、余白が失われ逃げ場がないこと ~追い詰められる者を受け入れる普遍的価値ある大思想 - 日々是〆〆吟味

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

PVアクセスランキング にほんブログ村

 お話その80(No.0080)

人々の交通と移動による文明の接触と、余白が失われ逃げ場がないこと ~追い詰められる者を受け入れる普遍的価値ある大思想

 

文明の接触 〜横の場合と縦の場合

文明の接触と交通

文化の接点が頻繁に起こるためには移動が可能でなくてはいけません。ですからユーラシア大陸というのは歩いて渡り行けることが不可能ではない場としてある、と考えれば、なぜ文明が大陸に存在するのかもわかる気がしますね。

 

f:id:waka-rukana:20200807234356j:plain

 

まず最初に四大文明のような文明圏が存在していたとして、しかしどことも接触しなければ孤立して発展していったでしょう。おそらく旧アメリカの文明圏、マヤやインカといった文明は、大西洋という巨大な断絶点を持っていますから、まず他文明との頻繁な接触はなく独自に発展し残っていったのではないでしょうか(アメリカの古い文明圏については何も知りませんので、確証はありません)。もしかしたら古代の時点ではユーラシア大陸の文明圏と比べても劣っていなかったかもしれません。しかしアメリカ大陸で保存され孤立していた文明は、近代化したヨーロッパの文明器具には手も足も出ませんでした。結果スペインが滅ぼしてしまいました。

 

もしかしたら独自の文明圏を築き文化も発展させ自力で古代基準で高水準なものに達していたのかもしれませんが、他文明との接触がないためにそこから先へ行くことがなかったのかもしれません。そもそもその必要がないですしね。古代基準で高水準であるとしたら、前提の古代基準が変わらない限り自分たちは高水準ですからね。私たちがSF的世界観から見て未開地だと言われたって自覚できませんからね。

 

文明世界と逃亡先

そういえばどこかで未開部族は新しい文明を前にして、自分たちのやり方を選んで去っていった者たちだ、と述べていた方がいた覚えがあります。その結果歴史から取り残されてしまったかもしれませんが、自分たちの世界は守ったのかもしれませんね。しかしそれが可能であったのは、去れる場所があったからかもしれません。近代化は世界から余白を奪い去ってしまったので、結果新しいやり方=文明を否定した人達は居場所を失い人々の前に引き摺り出されたのかもしれません。

 

f:id:waka-rukana:20200807165504j:plain

 

こうして考えてみますと、文明化されている地域では中々逃げ場がなく大変なのかもしれません。ユーラシア大陸にも様々な民族がいるかと思いますが、きっと未開部族みたいな真似をする事は難しいのではないでしょうか。逃げても逃げても、大陸の端々で大国と大文明が存在しています。そのため自分たちで培ったものを自分たちだけで守っていく事は困難極まりなかったのではないでしょうか。そしてそうした大陸を蠢くしかない人々を結びつけていくためのものとして仏教やキリスト教イスラームといった宗教、および大思想が存在し、背景を成していたのかもしれませんね。

 

受容先としての大思想

そしてそうした大思想を求め必要とするのも、個々の人間集団の移動と接触、と同時に協力や迫害のためかもしれません。未開部族のように逃げ場がない以上、大陸の中で発展する文明圏と共にいなければならないわけです。文明自体も接触し刺激を受けるかもしれませんが、その中にいる具体的な人々も自分たちを支える何かがなければならないわけですね。と同時に自らの文明圏を体現する国や帝国も、自らを補強していくために思想や文化を生み出していくのかもしれません。

 

f:id:waka-rukana:20200807155219j:plain

 

こうした個々人から発するものと、既に成立した文化や制度とが混ざり合って一つの文明圏が成り立っているのかもしれませんね。この場合は地理上による横の接触ではなく、縦の接触になるでしょうか。

 

 

 

…なんか、実は久しぶりに書いたためか、何が書きたいのかよくわからない文章になってしまっている気がします。手直ししてもよくなりません。申し訳ありません。

 

柄谷行人『隠喩としての建築』】 

交通に関しては柄谷行人が書いていたのですが、どこで書いていたのか忘れてしまいました。そのため初期の評論集を載せておきます。この頃のものによく交通について書いてあった気がします。

 

次の日の内容

影響すると共に自覚することへとつながる余所者=外部との接触 ~自らの文化の自覚と思想の鍛錬へのきっかけ - 日々是〆〆吟味

前の日の内容

世界最古の文明における大陸による文化の接触 〜ギリシアとインドの思想/哲学/文化の相互関係、もしくは古代懐疑主義とインド行者の影響の可能性 - 日々是〆〆吟味

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

PVアクセスランキング にほんブログ村

 お話その79(No.0079)

世界最古の文明における大陸による文化の接触 〜ギリシアとインドの思想/哲学/文化の相互関係、もしくは古代懐疑主義とインド行者の影響の可能性

 

大陸における文化の接触 〜ギリシアとインド

大陸でにしろ地球規模にしろ、随分と大きな枠組みの考えです。しかしどちらも近代化した日本について考えてくださっていて、それ以前はどう捉えればいいのかわかりません。私も知りませんので黙ってしまうしか出来ません。またいつかどこかでそんな本を読んだら書いてみたいですね(網野善彦読めばいいのかな)。

 

f:id:waka-rukana:20200807234453j:plain

 

それはともかく、とりあえず日本にはヨーロッパやイスラーム、インドに中国といった偉大なものがない、と仮定したとして、代わりに日本にはなにがあったかというと

 

日本文化の例となる我流とちゃんぽんといういいところ ~文化受容とまぜこぜによる自己流アレンジの発展 - 日々是〆〆吟味

加藤周一の雑種文化論における共存共栄としての日本文化 〜八百万の神々と同じく外国文化や世界の大思想が雑に同居してる - 日々是〆〆吟味

 

こんな感じでした。何もないからといって悪いわけではありませんね。タイプが違うわけです。

 

大陸の偉大なものの理由

では大陸ではどのようにして偉大なものを持ち得たのでしょうか。

 

f:id:waka-rukana:20200807234356j:plain

 

文明の揺籃地と多文化圏との接触

1つはすべて文明の揺籃の地だと言えることがあげられますね。それは同時にこれらの文化圏が成立する前に、古代の時点で既に相当に高度な蓄積があったであろうと想像されます。

 

世界四大文明の特徴としてのユーラシア大陸 ~連綿と続く古代文明の影響とその揺籃地としてのユーラシア大陸 - 日々是〆〆吟味

 

と同時に大陸であることによって、他の文化圏とも接触する可能性がある、ということもあげられるかもしれません。

 

ギリシアとインド

たとえばアリストテレスの教え子でもあったアレキサンダー大王は東に東にと攻めていってインドまで行きました。となると、ギリシア文化がインド文化とぶつかることになります。この接触からまた新たなものが生まれるかもしれませんし、危機感を持って既にあるものを鍛えようとして新しくなるかもしれません。

 

 

 

ギリシアですとアリストテレス以降に懐疑主義というものが現れます。これはちょっと面白くて、真理を特定してしまうのではなく、疑うことによって宙ぶらりんにしてしまい、特定の党派に盲信してしまわず中庸を保つ、といった考えのようです。これはあまりギリシア的な考えではないと思います。ギリシア的な考えはむしろ徹底して真理を求めるようなもので、この徹底度が極端であったために現代においてギリシア的な思考を引き継いだヨーロッパで科学が誕生したとも言われていたはずです(どこで書いてあったかは忘れました)。中庸を求めるようなものはどちらかといえば東洋的で、仏教の空論などは真理を求めて最終的にすべて否定し、無に定めるため似ているかもしれません(仏教についてもあまりしらないので自信ありません。一応下に本を載せておきます)。

 

懐疑主義と行者

懐疑主義の解説書に書いてあったと思うのですが、どうもこの懐疑主義の哲学を唱えた人たちはインドの行者と接触があったのではないか、といいます。それは直接インドに行って接したのか、ギリシアにインドの行者が来て影響を受けたのか、またはヨーロッパとインドを行き交う旅人から聞いてそのような考えが生まれてきたのか、それはわかりません。もし古代の歴史学で史料でも出てくればいいのですが、時代が古すぎて期待は出来ず想像するしかないようです。しかしシルクロードは日本まで至っているので、それに比べればギリシアとインドは近い、とも言えるかもしれません。そしてその接触可能な距離に、ギリシアとインドという世界的かつ歴史的な偉大なものをもつ文化圏が成立していたことになります。古代の時点で既に偉大ですが、それがお互いに接触し影響を与える可能性もあったわけです。

 

f:id:waka-rukana:20200807234512j:plain

 

そしてそれは時代が新しくなるにつれて、交通が可能になればなるほどより活発になると予想されるのでした。

 

気になったら読んで欲しい本

【アナス,バーンズ『古代懐疑主義入門』】 

タイトル通り古代の懐疑主義について書いてある本。なんでも懐疑主義というのは近代にもう一度大きく現れるようで、ギリシア時代のものは古代懐疑主義として区別するそうです。

この古代懐疑主義キュニコス派ストア派とも歴史的な発展関係にあり影響を与えていたのではないか、って書いてあったような気もするのですが、ちょっとよく覚えていません。記憶で書いているので間違っていましたら申し訳ありません。読んでくだされば載っているかと思います。けどなんでそんなこと不確かなのに書いたのかというと、ストア派は宗教的な側面のある哲学で、真理の追求というより心の平穏を保つような実践哲学だったような読後感を覚えていますので、もしインドとの接触があったとすれば面白い対比と関係な気がしたので書いてしまいました。

ちなみに懐疑主義の原典はこちら

【セクストス・エンペイリコス『ピュロン主義哲学の概要』】  

ストア派の有名な本といえば

マルクス・アウレーリウス『自省録』/エピクテトス『人生談義』】 

こちらがとても面白かったです。ただ上の方が1冊で読みやすいから、マルクス・アウレーリウスの『自省録』をお勧めします。この人はプラトンが理想とした哲人政治の唯一の達成者と言われ、ローマ皇帝でありながら本書のような哲学的思索を続けた人です。

中村元『龍樹』】 

仏教については、恐らく人類最高峰の思考を達成したと思われる龍樹の『中論』があり、この本に解説とともに翻訳が載っています。著者の中村元も日本仏教学界の最高権威で、世界的碩学として大変高名です。なんてお得な1冊でしょうか。しかし私はまだ読んでいません。『中論』は別の本で読んだことがあり、とんでもない考えが記録された歴史の始まって間もない頃になされているのを知り驚嘆したことがあります。吉本隆明が人間が考えなくちゃいけないことは4世紀くらいまでにみんな考えてる、と書いていましたが、それが本当だったと教えられました。

また『中論』自体はとても短くて簡単に読めます。それこそ付録にできるくらいに短いです。気軽に読もうと思えるのは嬉しいですね。

【大学・中庸】 

余談ですが中庸という考えは中国では四書五経の中の一冊にまでなっています。現代の中国批判をしたいと思われる方は、今の政治的な様子を非難するだけでなく、中国の古典的な思想からも外れてる、と言ってみるのもいいのではないでしょうか。中国の古典も面白そうなのですが、ちょっとずつ溜まっていくだけで中々読む暇がありません。残念だなぁ…

 

次の日の内容

人々の交通と移動による文明の接触と、余白が失われ逃げ場がないこと ~追い詰められる者を受け入れる普遍的価値ある大思想 - 日々是〆〆吟味

前の日の内容

日本の近代化の特徴としての、ヨーロッパに対する地球の中の周縁の意味とは 〜世界システム論の中に位置づけられた日本【ウォーラーステイン『近代世界システム』】 - 日々是〆〆吟味

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

PVアクセスランキング にほんブログ村

 お話その78(No.0078)

日本の近代化の特徴としての、ヨーロッパに対する地球の中の周縁の意味とは 〜世界システム論の中に位置づけられた日本【ウォーラーステイン『近代世界システム』】

 

周縁としての日本と近代化、そして… 〜世界システムの中に位置づけられた日本

梅棹忠夫は大陸が歴史的に疲弊し、辺境であったヨーロッパと日本が近代において成長した、というような考えを示しました。この辺境という点において日本の近代化も考えの中に含んだとても偉い人がいます。ウォーラーステインという、なんともカッコいい名前の方なのですが、書いてることも戦車のように重量級で私には難しすぎます。とりあえずここで書いていることと関係しそうなところだけかいつまんで書いてみようかと思います。詳しくは直接ウォーラーステインの本を読んでくだされば幸いです。私、説明なんて自信ありません。

 

f:id:waka-rukana:20200807165808j:plain

 

近代化と世界経済圏

ウォーラーステインはヨーロッパの近代化と共に経済圏が世界化=地球規模になったと考えました。今でいうグローバル化が始まった、というわけですね。大航海時代がはじまり、ヨーロッパ諸国が海を渡って世界中を支配していく時代です。それは政治的には植民地主義となっていきますが、経済的には世界規模で様々な商品が行き交う制度が成立したということになるようです。

 

中心と周縁の世界システム

こうした世界規模の経済状況を世界システムと呼ぶようですが、これは中心と周縁という形で二分化されるようです。当然ヨーロッパが中心で、それ以外が周縁ですね。そして中心は周縁から取れるものを買い取っては母国へと運び込むわけです。もちろん周縁国は植民地です。ですから好き勝手取って、安く持っていきます。そして自分たちで楽しく消費するわけですね。

 

f:id:waka-rukana:20200807234356j:plain

 

もちろん近代初期は圧倒的にヨーロッパが強かったので、ヨーロッパから近ければ近いほどこうした態度を取られる可能性が高いわけです。中国やアフリカなどは丁度いい位置にあります。そのため自分たちが消費するための丁度いい原産国になります。となれば中心国であるヨーロッパ諸国は、そこから取れるだけ取ろうと政治的にも圧迫していきます。アフリカも中国も近代化が難しかった理由の1つとして、強すぎるヨーロッパ諸国からの干渉があったかもしれません。

 

中心地ヨーロッパから遠い日本の地理的条件

その点日本はどうだったでしょうか。中心であったヨーロッパ諸国から見て世界の反対側です。地球の裏側です。そのためヨーロッパから直接に干渉されることが難しかった地理的条件にありました。それに江戸幕府の方針から鎖国もしていました。鎖国は閉塞した島国根性を持続させ、進んだヨーロッパ諸国の文物を取り入れ損ねたということで日本では手厳しい評価でしたが、ウォーラーステインによればそうした鎖国をしていたために中心であるヨーロッパ諸国からの干渉からも逃れられたといいます。そして地理的に日本から近いアメリカがヨーロッパに増して強くなるに従って、日本へと圧力をかけてくるようになり開国となったのでした。アメリカは当時鯨油が欲しくて鯨を乱獲しており、その駐留地として日本を求めたのだそうです。となるとウォーラーステインの言う通り、中心がヨーロッパからアメリカに移りつつあり、日本が持っていた周縁としての利点がなくなってしまったことがわかりますね。そしてアフリカや中国がヨーロッパから取られるだけ取られたように、日本はアメリカから取られるだけ取られているのかもしれません。

 

ウォーラーステイン梅棹忠夫

ウォーラーステインの考え(というより理論)は世界システム論と呼ばれ、近代以降に起こった世界規模の経済圏の説明と分析にあてられ、日本のことはちょっと書かれているにすぎません。しかし日本をヨーロッパから遠い、周縁、つまり辺境であったことによって近代化を助けたという説明はちょっと梅棹忠夫と似てるなぁ、と思いもしたのでした。専門家はなんていうのかは知りません。多分私の印象は微笑んでくれるくらいの愛想は示してくれるかもしれませんね(素人相手ですからね)。

 

f:id:waka-rukana:20200807155219j:plain

 

梅棹忠夫は大陸で考えましたが、ウォーラーステインは地球で考えました(しかも海でしょうか)。どちらも稀有壮大なスケールで考えていますが、その中に日本を落とし込んで捉えてみると日本が日本だけで成り立っているわけではなさそうなこともわかってきそうですね。ただウォーラーステインの考えでは世界システムは近代に成立したものであって、今以て続いていることになります。となると、現在の日本はどこにどのように世界システムに組み込まれていて、中心と周縁のどの位置に属するのか、ということも考えてみると面白いかもしれません。間違いなく中心はアメリカ以外には考えられないので、そのアメリカに対して日本はどのような周縁として生きていけばいいのでしょうね。

 

気になったら読んで欲しい本

ウォーラーステイン『近代世界システム』】 

ウォーラーステインの本。私が読んだのはこれです。しかしこれは第1巻で、未だウォーラーステインは続編を書いています(追記:ウォーラーステインは亡くなってしまいました)。かつては続編は別の出版社から出ていましたが、今は揃って一箇所から出ています。

 

 

巻数がローマ数字なので文字化けしていますが(追記:どうやら直ったみたいです)、今のところ4部作です。上から1.2.3.4巻です。5部作目が現在研究中のはずですが、おそらく同じ出版社からでる予定だそうです。

私は上の岩波版だけしか読んでませんので、この1部目だけですね。

ウォーラーステインの業績は世界的に高く評価されているそうです。土台となるのはフランスで起こったアナール学派と呼ばれる歴史学で、地理上の条件まで遡って政治的現象を説明するようなすごい歴史学です。ブローデルという人が書いた『地中海』という本が代表といわれます。これもすごい本でした。

また世界経済圏の研究という観点は、かつてマルクスが『経済学批判』で当初のプランとして構想していたものの最期の項目である、世界市場を継いだものともいえるかもしれません。

一応どっちも載せておきましょうか。

ブローデル『地中海』/マルクス『経済学批判』】 

 

次の日の内容

世界最古の文明における大陸による文化の接触 〜ギリシアとインドの思想/哲学/文化の相互関係、もしくは古代懐疑主義とインド行者の影響の可能性 - 日々是〆〆吟味

前の日の内容

【梅棹忠夫『文明の生態史観』】大陸の歴史と辺境であることの余力の意味 〜梅棹忠夫によるヨーロッパと日本の近代化の原因の分析 - 日々是〆〆吟味

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

PVアクセスランキング にほんブログ村

 お話その77(No.0077)